「短刀と弓」の作者、蔡 明錫(チェ ミョンソク)は、1949年韓国光州市に生まれ、光州西中学、光州一校を経て、全南大学貿易学科を卒業した。1979年から2か月間の日本研修を体験して、大きな文化的衝撃を受け、日本留学を決意した。
1981年慶応大学大学院商学研究科に入学し、修士学位を取得。その後、国際経済学科博士課程を終える。
卒業後、韓国の時事ジャーナル東京駐在編集員として10余年間活動した。その後、「自由アジア放送(Radio Free Asia)」の東京リポーターとして活動し、その間、韓国の「未来M&B」社からこの著作を出版した。
「短刀と弓」が韓国で出版されたのは2006年です。もう16年も前の事です。生前、夫に「退職したら、この本を翻訳して日本で出版したいな」と話すと、夫は半信半疑な様子で笑って聞いていました。
でも半ば本気にそうするのを願ってたのかなと思うことがありました。
それは、ぼそっと「翻訳しないの」ということが何度かあったからです。
そのうちに夫は病を得てあっという間にこの世を去ってしまいました。2019年10月3日、3年前です。私よりも長生きしそうな頑丈な人だったのに。先に行かれた私は途方に暮れてしばらく何も手に付かず何かにつけて思い出しては悲しんでいるばかりでした。
夫は日本に来て40年。
生粋の韓国人だった夫は日本の事はほとんど知らずにこちらにやってきました。初めのころ文化的ギャップに驚いたり戸惑ったりしながらも興味津々で日本生活に順応していきました。
来日して4年後には、たどたどしかった日本語も上達して、修士論文も書けるほどになっていました。
夫は時事ジャーナルという韓国の雑誌に、日本の政治、経済、社会について記事を書いていましたが、仕事をする中で多くの日本の人たちと日韓関係について議論することが多かったようです。
家でもお酒が入ると饒舌になって気分が高揚した態で日本論が爆発します。一人でまくしたてるという風でした。(私も負けていませんが)
夫は次第に歴史にも興味をもち始め、様々な歴史書を読んでいました。私も古代史に興味を持って韓国語を始めたくらいですから、二人で共感したり、時には喧々諤々になって言い合ったりしました。
家族は閉口していましたが。
仕事をしながら日本について思ったことや感じたことが多々あって、この本を執筆することになりました。努力が実って、韓国の出版社から出版することができました。
後に中学校の推薦図書に選ばれたと本人の口から聞きました。
先の「退職したら、この本を翻訳して日本で出版したいな」という話は、私たち夫婦が年を重ねて、退職が近づいてきたころの事でしょうか。
その話をしてからずるずると年月が経って、とうとう生前には果たせませんでした。
その事が悔やまれてなりませんでした。
亡くなってから、しばらくは鬱々としていましたが、これではだめだと思い始め、今こそ翻訳をして出版しようと決心しました。
家族のために日本に留まって帰らなかった夫。祖国韓国と日本の関係を自分なりに見極めようと努め、日韓関係の未来に向けて祖国の人たちに、40年間の日本滞在で得た知識や感じた事、考えた事を伝えようとこの本を執筆した夫。その思いを日本の人たちにも伝えたいというのが私の望みです。
韓国語の未熟な私が翻訳に取り組んで2021年4月に翻訳を終了しました。自費出版を考えましたが実現できずに今に至りこうしてブログで公開することになったのです。
夫が「短刀と弓」を出版してから実に16年の歳月がたっています。
内容的にはだいぶ古い事柄になります。私は政治経済の専門家ではありませんから、この翻訳が今の社会でどういう意味を持つか正直のところ全くわかりません。
でも、どうしても夫の書き残したものを日本でも出版したかったのです。それは夫が40年日本で暮らし、この地で生涯を終えたからです。私たちが結婚する時、私の父が日本で暮らすならという条件を付けたために、何度か韓国に職を得るチャンスがありましたし、望郷の思いも強かったと思いますが祖国に帰らずに日本に留まり、結局そのまま最後をこの地で迎えることになってしまいました。
そのようにして日本で暮らした夫は、仕事を通じて日本を理解し、関わった日本人を通じて日本人について考え、集大成としてこの本にまとめました。ですからこの本は40年間日本で生きて来た夫の残したすべてです。
愛国心の人一倍強い人でしたが、普段は日本の良さを強調するという相反する主張をする人でした。韓国の家族からは日本、日本というのはいい加減にやめなさいと言われるほど韓国に帰ると日本はこうだと声高に主張するのでした。
だから「短刀と弓」での主張は意外な面が多かったです。本当はこんな風に思っていたのかと。妻の私にも日本を悪く言うのは控えていたのかなと思ったりしました。
今、ブログに公開し終えてひと段落したとほっとしているところです。
どのくらいの方々に読んでいただけて、日韓関係について考えていただけるか分かりませんが、一人でも多くの方が隣の国韓国と日本のこれまでの歴史とこれからの未来について少しでも考えるきっかけになったら嬉しいです。
いつか近くて遠い国が近くて近い国になりますように。
コメント