憲法の拡大解釈にくたびれた日本が今模索しているのは憲法の全面改定だ。
自民党は憲法の全面改定を推進するために創党50周年に当たる2005年11月15日、新憲法要綱を発表した。
民主党は創憲という名前の下2006年頃改憲案を発表する予定であり、公明党は加憲という立場で独自の改憲案を準備する予定だ。
この3党の改憲案が準備されれば2007年から憲法改定のための3党協議に着手するということが現在の日程だ。
そうならば劇場国家日本が今後どんな速度でどの方向に変貌していくのか予測してみよう。
国号日本と天皇制
現行憲法第一条は「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である。その地位は主権の存する日本国民の総意に基づく。」と規定している。
この規定に従って天皇は形式的には戦前の「国家元首」の地位から「象徴的存在」として格下げされた。
しかし、平和憲法が施行された後にも実質的には天皇が国家元首の資格で外国元首を接見し、外交使節の信任状も接受している。
また、自衛隊は1963年から天皇が地方視察に出る時「敬って最敬礼」をし、1965年からは自衛隊幹部の天皇謁見も定例化した。
ヒロヒト天皇が定例式の時(1989年2月)は儀仗、弔砲、堵列(大勢の人がずらりと並ぶこと)奏楽隊等、1679名が動員された。
自衛隊が天皇を1960年第初めから戦前のように「大元首」として礼遇しているのだ。
天皇の神格化も再び推進されている。
国会は2005年5月ヒロヒト天皇の誕生日である4月29日を「昭和の日」に指定して2007年から公休日として実施することに決定した。
戦前にはこの日を天長節と呼んだ。
そのようにしてヒロヒトが死ぬと「みどりの日」に指定された。
ところで国家が「みどりの日」を「昭和の日」に突然変更した意図は何だろうか?
自民党と公明党は「昭和の教訓を噛みしめてみよう。」とし、窮屈な弁明を並べている。
しかし、朝日新聞の社説が指摘したように(2005、4,4)「昭和天皇を憧憬し、昭和時代全体を肯定しようとする復古主義」の動きが正に昭和の日制定だ。
また、敗戦後現人神を否定し、自ら人間宣言をしたヒロヒトを再び神格化しようとする意図だ。
日本は神話上の人物である神武天皇の即位日である2月11日を建国記念日に制定し、1966年国民の祝日に復活させた。
《日本書紀》に出てくる神武の即位日2月11日は1972年紀元節として制定されたが、敗戦後廃止されていたのだ。
また、明治天皇の誕生日である明治節は「文化の日(11月3日)」として新嘗祭(天皇の新米を天地神明に捧げて試食する祭事)は「勤労感謝の日」(11月23日)として復活した。
自民党が2005年11月15日確定した新憲法要綱は一旦「象徴天皇制」を今の形態で存続させるようにしたが天皇制と関連してもう一つの重要な動きは「皇室典範」の改定問題だ。
現在皇位継承第一位のナルヒト皇太子と雅子妃の間には娘愛子だけだ。
弟である秋篠宮も娘二人のみ持った。
夫人紀子が2006年初め、3番目を妊娠した事実が知らされたが、息子か娘かが秋ごろ明らかにされるだろう。
王位継承権を持っている別の家門でもこの40年間娘だけ生まれた。
そのため現在の皇室典範の規定である「男系男子原則」を守ろうとすれば天皇の代が絶たれることが憂慮される。
これによって皇室典範を改定して女帝も認定すべきという世論の声が高くなると、日本政府は2004年末「皇室典範に関する有識者会議」を発足させた。
有識者会議は2005年11月11日男女を不問にして最初の子供を優先する「長子優先」皇位継承順位を発表した。
これをもって日本でも女性天皇が誕生できる道が開けた。
各種世論調査によれば現在日本国民の約7割が女帝の誕生を歓迎している。
しかし、右翼勢力は1300年間続いてきた「男系男子継承原則」を改定するのは皇室の伝統である「万世一系」を否定して日本の国体を破壊する行為だと主張し、女子が皇位を継承することを極力反対している。
このように右翼勢力が単一民族国家、万世一系を云々し男系男子原則に固執することは、彼らが「戦前の天皇制国家への回帰」を虎視眈々ねらっている証拠だ。
そのために我々は日本人が「日本」という国号を使用して神格化された「天皇制」に固執する限りなく終わりのない日本を警戒しなければならない。
「倭国」から「日本」へ、「倭王」から「天皇」へ国号と王の呼称が変わった後、我々が1300年に渡って被ってきた苦痛と被害を考えれば自明の理だ。
ちなみに「倭」から「日本」へ正式に国号が変わったのは文武天皇の時、701年に発令された大宝令(古代法典の令)によっている。
即ち律令国家体制を整備して日本という国号が「天皇」という呼称とともに制度化されたのだ。
《新唐書》によれば周の則天武后が702年、倭から日本の国号の変更を承認した。
日本という国号の意味は「日が昇る木、扶桑(中国伝説で、東方の海の中の日が昇る処にあると言う想像の木)がある処(本)」というのが一般的な解釈だ。
これがその後、日本古来の言葉である「やまと」を指して言う事と解釈され、平安時代後期には天照大御神が君臨する国という意味の「日神の国」が「日本」の由来という解釈が登場した。
また、仏教の影響を受けて「大日如来(宇宙と一体だと考える汎神論的密教の教祖)の本国)」という解釈も登場した。
やまとは「山跡」、「山處」という意味で太古に人間が山を住まいとしていたところに由来したという説が一般的だ。
倭、日本、大和をすべて「やまと」と表記する場合が多い。
《古事記》と《日本書紀》に出てきた古代日本の帝国意識
《日本書紀》図 省略
《古事記》図 省略
出処;神野志隆光、《日本とは何か》、講談社、2005、52ページ 注;7世紀末の登場した日本という国号には「帝国意識」即ち韓半島に対する優越意識が内包されている。ちなみに《日本書紀》の本文自体には日本という呼称が219回ほど登場する。反面《古事記》には日本という呼称が人名を含み64回登場するだけだ
自衛隊と自衛軍
連合軍総司令部は、ヒロヒト天皇の戦争責任について免罪符を発給する条件として、日本が二度と再び戦争ができないように足かせをはめた。即ち憲法9条だ。
憲法改定の最大の焦点もこの9条改定問題だ。
現行のいわゆる平和憲法は9条1項で「国権の発動たる戦争と武力による威嚇及び武力の行使は国際紛争を解決する手段としてこれを永久に放棄する。」と「戦争放棄」を明文化している。
2項では「前項の目的を達成するため陸海空軍その他の戦力は保有せず、国家の交戦権は認めない。」と「戦力の不保有」、「交戦権を認めない。」を明文化している。
この9条2項の規定によれば現在の自衛隊は違憲だ。
しかし、「自衛隊は自衛のための必要最小限の戦力」という憲法解釈変更を経て自衛隊は実質軍隊に変貌した。
自民党はこの9条1項と2項を全面改訂し、日本が国連安保理常任理事国として選出されれば国連軍と多国籍軍の武力行使に自衛隊が自由に参加できる道を開き、自衛隊を正式軍隊であるいわゆる「自衛軍」として復元する方針だ。
自民党がこのように9条改定に全力を傾けているのは憲法改定問題について国内世論を徐々に賛成の方向に向かせるためだ。
例を挙げると、朝日新聞で実施した世論調査結果の推移をみると1955年11月には改憲賛成派が3割(反対25%)に留まったが1997年4月には46%(反対39%)、5月には56%(反対33%)で賛成派が過半数を通り越した。
また、9条改定に対する賛成派も2004年の31%(反対60%)から2005年には36%(反対51%)に増えた。
また自衛隊規定を憲法に明記すべきという人が7割に達し、正式軍隊として明記すべきという人が9%、存在だけを明記すべきという人が58%に至っている。
即ち、憲法を改定し自衛隊の存在をどのようであれ憲法に明記しようという世論が過半数をはるかに超える趨勢なのだ。
憲法を改定して自衛軍を創設する問題と関連して徴兵制論議も台頭している。
日本政府は1981年3月国会答弁で徴兵制は「憲法13条の自由及び幸福を追求する権利、18条のどんな奴隷的拘束または意志に反する苦役に従事されない」という規定を挙げて違憲だと答えた。
しかし、石破茂前防衛庁長官は、最近発刊した本《国防》(新潮社、2005)で「徴兵制が奴隷的使役という政府解釈は納得できない。」と不満を吐露して、「私は徴兵制に反対するが戦略上意味がないからだ。」と明かした。
石破は40代後半の自称「軍事マニア(模擬戦争狂)」だ。
水木楊の未来小説の中の松岡はクーデターを起こし軍事独裁政権を樹立する人物だが、石破のように「模擬戦争狂」達が政権を取れば、日本にも徴兵制が復活する可能性がいくらでもある。
問題は時間
町村信孝前外相は外務政務次官時代ある国際セミナーで「日本には非核3原則があり、憲法9条があり、唯一の被爆国だ。日本の国民感情で見ても核武器を保有するのは想像さえできないことだ。」と主張した。
しかし、核武器の保有、製造、搬入を一切禁止している「非核3原則」はどこまでも日本政府の一つの政策目標に過ぎない。
ちなみに、「非核3原則」は1967年12月佐藤栄作総理が衆議院予算委員会で初めて闡明(明らかにする;訳者注)にしたことで、その後沖縄返還決議と共に1971年11月衆議院本会議で採択された。
しかし、彼の兄である岸信介総理はすでに1958年4月国会答弁で「たとえ核兵器であってもそれが自衛のため必要最小限の範囲内であるときは9条2項に抵触しない。」とはっきりと表明した。
田中内閣の時は「防御用武器、即ち対空ミサイル、地雷、原子砲などの核兵器は合憲」という方針を明らかにし、福田内閣の時は「核武器を保有することができるという方針は最高裁判所も支持することであり、自民党政権が続く限り変わらないこと」と強調した。
数年前にも大森政輔法制局長官が参議院予算委員会で(1998年、6,17)「核武器使用が日本を防御するために必要最小限にとどまる場合、核武装は論理的に可能だ。」と明らかに答弁した。
このように見れば非核3原則は日本の核武装を遮っている大きな閂ではなく、単純な政策に過ぎないという事実がよくわかる。
それならば日本の核武装はどうだったか?
中曽根前総理は自叙伝《自省録》で核武装について次のように告白している。
「防衛庁長官を務めていた1970年、今から30年前のことだが核武装の可能性について研究させたことがあった。
当時伊藤博文の孫が防衛庁の技術官僚として勤務していた。
彼がこの問題について一番多くの研究をしたという話を聞いて彼を責任者として任命し、核武装をするとすれば一体どの程度の金と時間がかかるか秘密裏に研究するようにした。
当時の計算は2千億円、5年以内に可能だと言った。」
30年余り前の技術で5年以内に核武装ができるとすれば、今なら数か月であれば足りるだろう。
経済評論家大前研一も「日本は決心すれば、90日以内に核武器を作ってミサイルに搭載することができ、核武器2000個を作れるプルトニウムを保有している。」と自慢?するほどだ。
日本は核兵器不所有国としては唯一の使用後核燃料からプルトニウムを抽出する再処理施設を稼働している国だ。
ウラニウム濃縮も許容されているという報道もある。
国際原子力機構(IAEA)の査察も年間25回から年間1,2回に縮小される見通しだ。
国際原子力機構は日本が最も模範生であるという理由を言っているが、実はこの機関に分担金を一番多く出している国が正に日本だ。
国際環境団体グリンピースによれば日本は現在プルトニウム4,5トンを保有していて、青森県六ケ所村の再処理工場が本格稼働されれば2020年にはプルトニウム保有量が150tに増える。
理論上8キログラムのプルトニウムで核兵器1個を作れるということを考えれば途方もない量だ。
六ケ所村再処理工場は2004年12月末から劣化ウラニウム再処理模擬実験を開始した。
2005年12月からは廃燃料房から直接プルトニウムを抽出する作業を始めた。
北韓は今この段階で問題になっている。
報道によれば2006年から再処理作業が本格化し毎年約5トンずつプルトニウム保有量が増加するだろうという。
核兵器を開発するためには地下核実験が必要不可欠だ。
中曽根前総理は《自省録》で「核兵器開発も技術的な難関として日本には核実験をする場所がない。」という点を挙げた。
そうして「海外に植民地があるということもなく、フランスのように海外で核実験をすることもできない。」と嘆いた。
しかし、日本列島は数多くの無人島や孤島に取り囲まれている島国だ。核武装論者達は決心さえすればいくらでも無人島や孤島を利用して地下核実験をすることができると主張する。
イスラエルのように核実験をしなくても核兵器を保有(推定200発)できる道もある。
日本は核兵器運搬手段を確保することも大きな困難はない。
中国が2003年10月有人宇宙船「神舟5号」を発射したが、刺激を受けた日本も2010年ごろ有人宇宙船を発射する計画だ。
しかし、現在のH-2A新型宇宙ロケット技術を利用しても日本は直ちに核兵器を搭載できる大陸間弾道弾(ICBM)を開発する能力を十分に備えているということが専門家の意見だ。
このように見ると日本は核兵器を開発する意思も、能力も十分に備えている国だ。
ただその時期が問題であるのみだ。
アメリカ中央情報局(CIA)傘下の国家情報会議(NIE)の「2020年国際情勢分析報告書」によれば、日本が核武装をする時期は2020年頃だ。
まず2020年頃韓国は統一という国益を守るために軍備を増強する。
中国も台湾海峡に対するアメリカの干渉を排除するために軍事力の近代化を推進し東北亜地域の軍事的緊張が高まる。
韓国が統一されれば安保の脅威に対して日本国内の意識が変化し日米同盟関係が緩む。
南韓防衛を名分にした韓米軍の東北アジア駐屯もこれ以上正当化することは難しい。
このような情勢変化によって日本は2020年頃自衛隊の役割を強化するために憲法を改定して核兵器獲得の道に向かって突っ走るようになるだろうというのがアメリカの予測だ。
中曽根前総理も《自省録》で「アメリカが核の傘の役割をやめる場合には日本も核武装の可能性を含めた多様な方法を検討しなければならないだろう。」と主張していた。
このように見ると統一韓国が出現する可能性が出てくるとか日米安保同盟が解体する展望が見えれば日本の核武装への動きが加速化されるだろうという結論が導き出される。
日本の核武装はまた北韓の核開発如何によってその時期が繰り上げられることもある。
意欲、過慾(欲が深いこと;訳者注)、野慾(野心;訳者注)
敗戦直後、しばらく総理を務めた石橋湛山(1884~1973)は戦前「小日本主義」を提唱し、植民地経営の非経済性を論破したことがあった。
石橋は1913年の統計資料を根拠に日本が植民地に送った移民は40万名に過ぎないが、その経費は5千万円ほどかかったと指摘した。
これを一人当たりの経費として計算すると移民者一人当たり131万円の経費が掛かったわけだ。
日本国内の10円に比べ途方もない乱費だった。
石橋はまた植民地経営で得た経済的利益は9億円程度だがアメリカとの輸出入は14億円、インド6億円、イギリス3億円でわずか9億円のためにアメリカという最大の顧客と対立するということは賢明なことではなかったと指摘し、植民地をすべて放棄することが日本にとってもっと大きな利得になるだろうと主張した。
軍国主義者たちの「大日本主義」より石橋の「小日本主義」が正当だったというのが敗戦後の歴史が証明している。
敗戦後吉田総理は大日本主義を捨て「軽武装、経済優先」という小日本主義を標榜した。
この「吉田ドクトリン」によって日本は世界第2位経済大国を建設することができた。
日本列島だけでも十分に繁栄できたという事実を証明したのだ。
しかし、バブル経済の崩壊とともに経済大国の地位が揺らぐと国内では再び政治、軍事大国を志向する大日本主義が台頭し始めた。
一つが憲法改定であり、もう一つが安保理常任理事国進出だ。
日本が安保理常任理事国に進出しようという意欲を初めて表明したのは1970年国連創立25周年記念総会でであった。
当時の愛知外相は「国際平和を達成するには軍事力ではなく、経済、科学技術等の力が重要な役割をしている。」と主張し、常任理事国構成を再検討しなければならないと主張した。
1990年代中盤、中山外相は「戦後50年が過ぎた今まで第2次大戦の枢軸国(日本、ドイツ、イタリア等、7カ国)を敵国として規定しているのは時代錯誤的発想だ。」と非難し、国連憲章の修正を要求した。
戦犯国家という烙印を押されている限り日本はいわゆる「モラトリアム(支払い猶予)国家」のように国際政治舞台で発言力を強化することができないからだ。
日本はゴルフ戦争を契機として戦後50余年間持続してきた「軽武装、経済優先」ドクトリン即ち小日本主義を脱ぎ捨ててしまった。
アメリカの外圧が加わると保守右翼勢力が軽武装、経済優先ドクトリンは結局「一国平和主義」に過ぎないとして、積極的な国際貢献、即ち「大日本主義」を叫び始めたからだ。
この時登場したのがいわゆる「パクスアメリカーナ2」と「アメリポン(アメリカと日本を合体させた言葉)」のような用語だ。
アメリカの軍事力と日本の経済力が合体してアジア、太平洋地域を支配しようというのだ。
しかし、日本の経済力後退とブッシュ政権の登場で「アメリカは保安官、日本はサンタクロース」という役割分担が、徐々に「アメリカはゲーリークーパー(保安官)、日本はディーンマーティン(保安官助手)」に変わってきた。
例えば、ブッシュ政権はアジア、太平洋地域でのアメリカ軍再配置計画の重点を日本において日本列島を「不沈空母(unsinkable aircraft carrier)」あるいは安保列島にしようという計画を推進している。
即ち陸海空、海兵隊4軍の作戦司令部をすべて日本に呼び集めて日本を最高戦略基地である「戦力投射根拠地」にしようという計画だ。
これによって、日米両国の外務、国防長官が参席する「日米安全保障協議委員会」が2006年5月、シアトルに駐屯している第1軍団司令部を改編した「拠点司令部(UEX)」を神奈川県の座間基地に設置し、また沖縄の海兵第3機動師団8千名と師団本部をグァム基地に移動させ、横田基地には第5空軍司令部を配置し、横須賀には第7艦隊司令部を配置することにした。
いわゆる「1-3-5-7戦略」と呼ばれる駐日アメリカ軍配置計画が各司令部間の距離を可能な限り縮め、アジア、太平洋地域は勿論中東地域の緊急事態にも迅速に対応しようというのが目的だ。
「保安官」ブッシュは「保安官助手」小泉が献身的に協力してくれた対価として憲法改定と安保理常任理事国進出を積極的に支持している。
小泉総理とその追従者たちはこの機会を取り落とさないよう「ブッシュ追従政策」をより強化するだろう。
ブッシュの後任として民主党出身保安官が選出されれば対アジア政策が「中国封鎖」から「中国包容」に転換するかもしれないからだ。
日本が現行の憲法改定に成功すれば天皇を正式国家元首とし、自衛隊を正式軍隊とした「軍事大国」としてよみがえる。
国連憲章が改定されて日本が安保理常任理事国進出に成功すれば「政治大国」として生まれ変わるだろう。
「専守防衛原則」、「非核3原則」、「武器輸出3原則」のように、今もうわべだけピカピカの何のどんな原則もいっぺんに姿をくらますだろう。
その時我々は再び大日本主義を叫ぶ日本の新しい危険に直面する可能性が大きい。
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