「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳23 3章ー⑤話せば通じると言い張る「バカの壁」

 小泉総理は2003年秋に衆議院総選挙を前にして自民党の大元老である中曽根と宮澤前総理を比例代表区後任から除外した。
宮澤は小泉審判が差し出したレッドカードを受理し、さわやかに退場した。
中曽根は憲法改定や教育基本法改定などすることがまだ山のように残っているとして強く反抗した。
しかし、結局頑固な小泉審判の判定を覆すことはできず強制的に引退しなければならなかった。

 中曽根がここ近年小泉政権を厳しく叩いているのは、この時積み重なった感情のおりのためだ。
しかし中曽根が《文芸文春》2004年2月号に寄稿した「変人総理が普通の総理になるとき」と言う文や自叙伝《自省録》(新潮社、2004)を読んでみれば、単純なおりの次元ではないとわかる。

 中曽根総理はまず小泉総理の外交戦略は「全体の構図が整えられてない大雑把な一時的手段に過ぎない。」と攻撃の言葉を発し始めた。
その例が東アジア外交で日本が中国に追い越しを受けている状況だ。
即ち、中国は2003年10月アセアン(ASEAN)と東南アジア友好協力条約を締結して平和と繁栄のための戦略的パートナーシップ共同宣言に署名した。
これに続いて、中国はメコン川の開発など経済分野での協力はもちろん政治、安全保障面でもアセアンと協力体制を強化することに成功した。
自由貿易協定にもアセアン地域内各国と2010年までに締結するという目標を確認するなど包括的な構えで接近していて、中国を警戒してきたアセアンもある程度中国と提携してもよいという雰囲気が醸成されているということだ。

これに比べて日本は農産物問題がないシンガポールとは自由貿易協定を締結したが、タイ、マレーシア、フィリピンなどとは交渉に入る直前の段階で膠着状態に陥ったが、かなり遅れて正式に締結をした。

2003年12月東京で開かれた日本とアセアンの特別頂上会談で2005年に自由貿易協定交渉を開始し2012年頃に締結するという目標を立てたが、中国よりも2年ほど遅れたのだ。

 中曽根は続いて、6次会談で中国が主導権を握っている意味はとても大きいと指摘し、北朝鮮の核問題が解決した後も6次会談の形が東北アジア外交の基軸として作用する余地が大きいと、即ち中国が主導権を続いて掌握していくだろうと予測した。
そして韓国、日本、中国3国頂上会談を制度化することを急がなければならないと小泉に忠告した。

今3国の頂上たちがアセアン会議などで時々会っているがこのことを見ると、秋など1年に2度の会談を開いて制度化させれば靖国問題などを解き明かす妥協点を探せるし、頂上たちの間で友情が深まれば、日本の安保理常任理事国進出に韓国と中国の協力も期待できるというのだ。

 たとえ中曽根が酷評を浴びせたとしても、実は小泉総理こそは中曽根のミニチュア(模型)と言っても言い過ぎではない。
昔、日本海軍主計将校出身である中曽根は敗戦後右翼団体「青雲塾」を結成し、核武装、憲法改正を先頭に立って叫んできた極右政治家だ。
それで、早くも「青年将校」と言うニックネームがついたほどだ。
父子間ほどの世代の差があるが、小泉総理も昔、海軍神風特攻隊の遺稿集《ああ、同期の桜》を読んで成長した憂国少年だった。

「行政改革」をスローガンに掲げて総理として当選した後、中曽根はレーガン大統領に日本列島を不沈空母、即ち航空母艦のような巨大な米軍基地として作ると約束したほど徹頭徹尾の親米主義者だった。

「構造改革」スローガンを掲げて総理に当選した小泉もブッシュ大統領と初めて会った席で米占領軍を解放軍と口を極めて褒め称えた崇米主義者だ。

 靖国神社を8月15日に公式参拝し、韓国、中国と外交摩擦の火を初めてつけた人は他でもない中曽根だった。
小泉も総理に就任して以来6回ほど靖国を公式参拝し、韓中間に外交摩擦の火種をまいた。

 そうならば、この二人の異なる点は何か?
中曽根総理が就任後初めの訪問地に我が国を選び、中国との関係を考慮して靖国神社の公式参拝を1985年8月15日一回で終わりにしたことだ。
即ち中曽根は当時のレーガン大統領と「ロン―ヤス(ロナルドと康弘の略称)」と呼ばれる情の深い人間関係を結ぶほど徹底した親米政策をとりながらも、韓国、中国間の関係改善が対米関係でも有利に作用するという確信をもって韓中日間の摩擦を最小化しようと努力した。
中曽根自身は「호형호제(呼兄呼弟;親しく?;訳者注)していた胡耀邦総書記が靖国参拝問題で失脚する恐れがあったため」に参拝を中止したのだと説明した。《自省録》

さらに違う点は何か?
小泉総理が自分の母校である慶応大学の創立者福沢諭吉が120年前に残した「東方の悪友(朝鮮と中国)を謝絶して西欧列強と付き合わなければならない。」と言う遺言を忠実に守ろうと時代錯誤を犯しているということだ。
即ち小泉総理の頭の中は明けても暮れてもひたすら「対米追従」を飛び越えて「ブッシュ追従」という考えで、(諭吉の遺言とは)相当な差がある。

ブッシュ政権との関係だけ擁護すれば万事OKというやり方だ。
また、韓国、中国との摩擦程度は政権維持に何も負担にならないという考えだ。
そのため韓国と中国の靖国参拝非難に耳を傾ける考えもないのだ。

 ノムヒョン大統領は2004年3,1節記念式で小泉総理の靖国神社参拝にねらいをつけて「日本の指導者がそれではだめだ。」と遅まきながら一本の針を刺したことがあった。
そういうと小泉は次のような所感を日本記者団に披歴した。
「お互いの違いを認めて相互の立場を尊重する姿勢が必要だ。
私の考えが大統領にもよく伝わったと考える。」即ち、「私は何度も話したからノムヒョン大統領もよくわかったこと」という話だ。

しかし、前に紹介した養老猛司の著書《バカの壁》によれば「話せばわかるということは真っ赤な嘘」だ。
小泉総理自身もこの表現を国会答弁で2度ほど使ったことがある。
即ち2004年8月3日参議院で「犬養(犬養毅、1855~1932)総理も『(5,15クーデタ―事件を起こした青年将校たちと)話せば分かることだ』と答弁したことがあったと言ったが(海軍青年将校たちに射殺された)命を失った。」と答弁したことがあった。
この著書に有名税を付け足した張本人であり、話せば分かると言うのは真っ赤な嘘だと国会で自ら強調した当事者が私たちに向かって話せば分かると主張するのはつじつまが合わない行いだ。

 ノ大統領が2004年7月済州島で開いた頂上会談の時に「私の任期中には過去の問題を外交の争点に一切しないと言ったが、独島、教科書問題で話が変わることになる」(日本側の主張)のは小泉総理が持っている偽善の壁を全く理解できなかったためだろう。
いや日本、日本人の壁に関して知っている事実が一つもなかったことがより正確な表現であるかもしれない。

 参考に中国の呉儀副総理が小泉総理の靖国関連の国会答弁(前に紹介した2005年5月16日発言)を問題とし、一方的に会談を取り消して帰国してしまうと小泉は「会談すればよかったはずなのにということですよ。話せば分かりませんか?」と不快感を表明した。(5月24日)
何日か後に公明党の冬柴鉄三幹事長が「自身の信念だと言って、相手方が嫌と言う事を強いて行うのはよくない。」と忠告した。
「お互いの国の事情がある。話せば分かるのだ。」と相変わらず笑ったそうだ(5月30日)。

 話せば分かるということは真っ赤な嘘と言うことを十分に知っていながらも、話せば分かると言い張るのは「本当に話が通らない日本の総理」だ。

 まさにこれが小泉総理の壁だ。
即ち話しても分からないという事実は十分に分かっていても話せば分かると言い張るのは偽善の壁だ。
中曽根によれば、それは「人間の壁」だ。《自省録》

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