《月刊朝鮮》のチョカプチェ編集委員が「極右ではない保守本流」というインタビュー記事を失言、論難が起こった(2005年、4月18日)。
自民党の派閥変遷図をよく調べてみると次世代リーダー第一位である安倍晋三官房長官は健全な「保守本流」ではなく、極右勢力に近い「保守傍流」に分類してこそ適当だ。
現在の自民党は1955年自由党と民主党が合わさって誕生した政党だ。保守傍流は民主党系である岸信介と鳩山一郎がその根源だ。
保守本流は吉田―池田―大平―鈴木―宮澤―丹羽、古賀、谷垣、河野グループで変遷してきた派閥と吉田―佐藤―田中―竹下―小渕―橋本―対馬派で変遷してきた派閥に分かれる。
これに比べて保守傍流は鳩山―河野―中曽根―渡辺―山崎派として変遷してきた派閥と岸―福田―安倍―三塚―森、伊吹派として変遷してきた派閥に大別される。
アジアよりはアメリカやイギリスを重視する点が特徴だ。
特に、吉田―池田―宮澤と続く派閥は対米協調を優先した軽武装、平和憲法順守等の方針を堅持してきた。
その反面保守傍流は過去の戦争をすべて肯定し、韓日併合も同様に肯定する。
また、憲法を全面改訂し、日本の政治、軍事大国へ生まれ変わらなければならないと主張する。
吉田の外孫である麻生太郎外務大臣によれば、保守の流れは経済優先、日米安保重視、軽武装主張する吉田路線と、政治優先、対米自立、自主憲法制定、重軍備を主張する鳩山路線と区別されてきた。
前者の路線は池田、大平,宮澤総理によって継承され、後者の路線は岸、福田、中曽根総理によって継承されてきた(《論座》、2000、9月号)。
保守本流よりも保守傍流がより右傾化していることは彼らの根源とも密接な関連がある。
保守本流の根源吉田は戦争前に外務次官を務めた。
その一年後吉田は自由党を引き連れて総理職に指名され、前後政治の基礎を固めた。
反面、保守傍流の根源である岸は東條内閣の商工大臣を務めるなど戦争遂行に積極的に協調したが、敗戦後A 級戦犯容疑者として逮捕され3年間巣鴨刑務所に拘置された前歴を持っている。
保守傍流のまた異なる根源である鳩山一郎もやはり総理に指名された日、公職追放令を受けて追い出された人物だ。
自民党内派閥勢力分布(2006年8月30日)
派閥勢力 衆議院 参議院 合計
森→町村派(2006,10,31) 60 26 86
津島派 39 35 74
古賀派 33 15 48
伊吹派 18 14 32
山崎派 31 5 36
谷垣派 11 4 15
高村派 13 2 15
二階グループ 13 2 15
河野グループ 10 1 11
無派閥 64 7 71
合計 292 111 403
注;参議院議長は除外、自民党3役は各派閥に包含
このように見ると歴史歪曲発言で物議を醸した自民党政治家達が保守傍流に属していたという事実は偶然の一致ではない。
例えば「韓日併合は韓国側にも責任がある」という発言で罷免された藤尾正行文部相(1986,9)、「アジア全体が白色人種の植民地に陥ったが、大東亜戦争で独立した。」という発言で辞任した奥野誠亮国土庁長官(1988,4)などが保守傍流である岸―福田派に属していた。
「韓日併合は円満に締結した。」と主張した渡辺美智雄も鳩山―河野―中曽根派に続いてきた保守傍流出身だ。
しかし、保守本流の元祖である吉田の外孫であり、吉田―池田―宮澤の流れを受け継いできた河野グループの麻生太郎総務相が「創氏改名は朝鮮人が望んでしたことだ。」と発言したように、今日保守本流と傍流を区別することは大きな意味がない。
本流と傍流に関係なく自民党全体が総保守化する現状が見られるからだ。
安倍は現在森派に属していて、派閥の流れで見れば明らかに保守傍流だ。
また、彼の外祖父が保守傍流の元祖である岸であり、保守傍流は日本が再びアジアの盟主にならなければならないという主張をしている点を考えれば、彼は体質的派閥的に健全な保守というより極右勢力により近いと言わなければならないのだ。
安倍の政治気質を少し具体的に調べるために彼の発言録を探ってみよう。
安倍は国会議員に初めて当選した次の年である1994年に我が国のイソッキョン、ウォンヘヨン議員たちと対談を行った(《サピオ》、1994、2,24)。
彼はこの対談で直ぐに「細川総理の侵略戦争発言は間違ったこと」だと主張した。
なぜなら日本が東アジアで行った戦争と欧米諸国が行った戦争を区別せずに日本が行った戦争を侵略戦争だと規定したからだ。
そうして我が国について、韓日保護条約という合法的な形態をとってはいるが、明らかに侵略し植民地化したと認識していると付け加えた。
彼(安倍;訳者注)は、日本人は基本的に韓国に対して罪悪感を持っているが、政権が変わるたびに謝罪しろというのだから、反発することではないのかと反問した。
安倍はその後2003年に49歳の年で自民党幹事長に抜擢された。小泉総理の靖国参拝問題が表面化すると安倍は「あちらの是非がからんで参拝を中止すれば、禍根を残すことになる」として、韓国と中国の要求を一蹴した。
彼はまた「死ぬことで罪を償った人達(即ちA級戦犯)を再び裁判してはいけないし、ここで譲歩すれば次はB,C級も分祀しろと要求するから絶対に譲歩できない線がある。」と主張した。
安倍は2004年8月末、自民党幹事長の資格で我が国を訪問したこともあった。
その時安倍は「歴史の事実を研究することは重要だが、評価はお互いが違う。
他国の評価を理解することが重要だが、評価はお互いに違う。」(イブヨン前議長面談)。
「日本が平和を守る勢力であるかそうではないかは、日本の戦後の歴史を見ればわかる。」(ノムヒョン大統領面談)。
「扶桑社の教科書は問題があるということで過大に宣伝されているが、検定を通過した穏当なものだ。」(パックネ前代表面談)等の発言録を残した。
- 佐藤家の元祖佐藤信寛は萩藩(山口県北部)の下級武士出身で幕末の外情思想家吉田松陰(1830~1859)に軍事学を習った。安倍の選挙区である山口県(4区)は幕末長州藩の根拠地として吉田のほかにも伊藤博文(1841~1909、初代韓国統監)、山形有朋(1838~1922、陸軍長州軍閥の巨頭)、桂太郎(1848~1913、陸軍大将、総理就任中に韓日併合条約締結)、寺内正毅(1852~1919、初代朝鮮総督)、田中義一(1864~1929、中国山東省出兵)等、韓半島、中国侵略の元凶を多数輩出しているのだ。安倍晋三の「晋」の字も長州の有名な攘夷論者高杉晋作(1839~1867)からとったものだという。こう見ると安倍の強い右翼気質は生まれつきの血筋というだけでなく、彼の選挙区とも深い関連があることが分かる。
- 安倍晋三の夫人昭恵は森永製菓前社長松崎昭雄の長女だ。安倍晋三の兄寛信の夫人幸子はウシオ電機会長牛尾次郎の長女だ。寛信は佐藤、岸家の長男たちのように政界に進出しなかった。
- 安倍の弟信夫は生まれるとすぐ岸信介の息子岸信和の養子として入り2004年7月山口県選挙区から参議院議員に当選した。万一晋三が総理として選出された場合伊藤博文、山形有朋、桂太郎、寺内正毅、田中喜一、岸信介、佐藤栄作に続いて山口県が輩出した8番目の総理になる。また安倍に続いて弟信夫が総理になる場合、岸、佐藤兄弟に続いて史上2番目の兄弟総理が誕生することになる。参考に福田前総理の長男康夫が総理になれば日本でも史上初めて父子総理が誕生することになる。
- 安倍の母方の実家である岸家、佐藤家はA級戦犯として裁判中に病死した松岡洋右(1880~1946)前外相、吉田茂(1878~1967)前総理家門とも姻戚関係として絡んでいる。即ち佐藤栄作が養子として入った佐藤松介の夫人が洋右の妹である藤枝だ。また、吉田総理の長女桜子は岸、佐藤の母である茂世の妹さわの息子吉田寛(外交官)と結婚したが、長女和子は九州の炭坑王麻生太賀吉(1911~1980前衆議院議員)と結婚し長男麻生太郎外相他2男3女をもうけた。麻生太郎の一番下の妹である三女信子は皇族である三笠宮寛仁(明仁天皇の従弟)と結婚した。安倍晋三の母親安倍洋子《わたしの安倍晋太郎》という本で佐藤、岸、安倍一族は総理を3人、外務大臣を2人出した名門だと書いているが、A級戦犯容疑者を二人ほど輩出した「戦犯家門」でもある。(ネスコ/文芸春秋。1922)
安倍の発言録を暴いてみると、彼が小泉総理よりももっと過激な一面がある極右政治家だと言う事実を知ることができる。
随って保守傍流出身の極右気質をもった安倍が総理として選出されれば韓日関係はもっと後退する可能性がある。
反面、彼は日韓協力議員会の会長を務め「青森で起こったことよりも釜山や光州で起こったことに神経を使った」岸信介総理の外孫だ。
安倍のまた違う外祖父佐藤栄作も自身が韓半島から渡ってきた大内家(百済26代聖明王3番目の息子琳聖が始祖)の後裔であることを、周りに自慢していたという逸話もある。
岸の後継者であった福田赳夫前総理も自身を「1500年前韓半島から渡ってきた渡来人の後裔」だと自負し日韓協力議員会の会長を務めた。
福田派を受け継いだ安倍の父親晋太郎も親韓派を自負していた人だ。
このような流れで見る時、安倍は小泉よりも韓国をある程度知っている「知韓派」政治家だ。
だから我々が彼をどう扱うかによって色合いが若干変わってくることもある。
しかし我々は日本の極右政治家たちが過去にも親韓派を自負してきたことを決して忘れてはならない。
「親韓派」が実は「侵韓派」だったということだ。
参考に安倍の母親洋子は《わたしの安倍晋太郎》という本で佐藤、岸、安倍一族は総理を3人(吉田茂、岸信介、佐藤栄作)、外相2人(松岡洋右、安倍晋太郎)を輩出した名門の家柄だと自慢しているが、実はA級戦犯2人(松岡洋右、岸信介)を輩出した「戦犯の家系」だ。
松岡は近衛内閣の外相として日独伊三国同盟を推進した罪でA級戦犯として起訴されたが裁判途中で病死した。
最近の報道によればヒロヒト天皇は三国同盟を推進して日本を破滅の道に追い込んだ松岡と白鳥敏夫前イタリア大使(終身禁固刑)が1978年秘密裏に靖国に合祀されたという知らせを聞いて全く不適当であるとしたことが知られている。
本来彼らは軍人でなく民間人(外交官)であって、戦死したのではなく病死したのだから靖国に合祀される資格がなかった。
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