「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳30 5章―④扶桑社、産経新聞、フジテレビの関係

 問題の新しい中学校歴史教科書は新しい歴史の会と自民党右派、そして扶桑社という出版社が三位一体となって創り出した教科書だ。
そうすると出版社扶桑社の正体は何だろうか?

 朝日新聞は文部科学省の検定教科書が発表された後日2005年4月6日「こんな教科書でいいのか」というタイトルで」新しい歴史の会が主導した扶桑社版中学校歴史教科書は教室で教えるには不適切な教科書だと主張した。
これに産経新聞はその次の日である4月7日「驚くべき朝日新聞」というタイトルで朝日新聞は4年前に続いてまた再び扶桑社版歴史教科書を集中攻撃していると非難した。

 朝日新聞はこれに関して「こちらこそ驚いた。」という社説を再び掲載(4月8日)した。
そして問題の教科書を発行した扶桑社が産経新聞と同じ「フジサンケイグループ」に属しているために産経新聞が後援したいという気持ちはよくわかると前置きした後、産経新聞が1998年1月社説で「新聞社が教科書を創ることに関与することは初挑戦だが、あたらしい歴史の会と共に読者と国民の支援を受けて、批判も請う。」と宣言したことを想起させた。
それなのに産経新聞は自ら関与している教科書を自身の新聞紙面で宣伝してきたと言っても過言ではないと断言した。

 産経新聞は再び4月9日付の新聞に「本質をあいまいにしてはいけない。」という社説を掲載し朝日新聞の指摘に次のような要旨の反撃をした。

 「当初は教科書を産経が発行し、扶桑社が販売する予定であったが、1999年旧文部省の指示で発行と販売を扶桑社に一元化した。
その後産経は教科書編集に一切関与しなかった。だから朝日新聞の8日付社説は完全な事実誤認だ。」

そうしながら産経新聞は扶桑社が系列会社ではないし、人事交流もない全く別個の会社だと主張した。
しかし系列会社でもなく人事交流もない会社なら、初めに産経新聞が主導しようとしてきた教科書出版をどうやって扶桑社が一人で引き受けることができたのだろうか?

 扶桑社はフジテレビを頂点とした「フジサンケイコミュニケーションズグループ(以下フジサンケイグループ)の系列会社だ。」
フジサンケイグループは文部科学省の検定結果が発表された4月5日現在フジテレビ、産経新聞社、日本放送、産経ビルディング、リビング新聞、ポニーキャニオン、芸術、美術等、7つのグループに分かれている。

 フジサンケイグループの中核会社はラジオ局である日本放送で日本放送がフジテレビを支配し、フジテレビがさらにグループ社を総括している支柱会社支配方式をとってきた。
しかし日本放送の買収劇を始めたライブドアとの合意に従いフジテレビが2005年5月23日、日本放送の株式保有率を68,9%に引き上げたことによって名実共にフジサンケイグループの支柱会社に浮上した。

 参考に扶桑社ホームページには資本金68億円、社員が162名と紹介されている。
1984年リビングマガジンから扶桑社へ社号を変更し、1987年8月1日産経出版と合併したという。
株主としてはフジテレビ、産業経済(産経)新聞社、日本放送、ポニーキャニオン等が記載されているだけで各株主の正確な保有株式数は出されていない。

 産経新聞が主張したように扶桑社は資本関係として見れば産経の系列会社ではなく、84、1%の株式を保有するフジテレビ系列の会社だ。
しかしフジサンケイグループの生成と変遷の過程を振り返ってみれば、扶桑社が産経新聞と系列、提携関係にあることは明白な事実だ。

 産経新聞の前身は1933年に創刊された「日本工業新聞」だ。以後、「産業経済」、「サンケイ」に名前が変更されたが1988年に再び「産業経済新聞」に復元された。

 日本財界は日米安保闘争時左翼勢力が跋扈すると、これを抑えるために日経連の専務理事だった鹿内信隆をフジサンケイグループに派遣した。
鹿内はフジサンケイグループを委託経営しながら株式と不動産を利用して産経グループを完全に掌握することに成功した。

 信隆の長男春雄は父親から経営権を引き継ぐとフジサンケイグループの大手術を断行した。
グループの核心企業が産経新聞社からフジテレビに移動したこともこの時だ。
春雄は販売部数が200万部あまりを行ったり来たりしている産経新聞を改革するために紙面をカラー化し、大幅な人事異動を断行した。
部長の首が一朝一夕に飛んでしまったり論説委員が突然地方の支局長へ追い出されたりするなど管理職数百名が一度に移動したことをめぐって当時言論界では産経に大虐殺が起こったとひそひそと囁かれた。(久留米郁、《新聞のウラの裏がわかる本》、ピイプル社、)1990)。

 計画の主導者春雄が1988年4月43歳の年で急死したことに続いて、産経新聞はまた大きな打撃を受けた。
そのほかの新聞社に比べて給料がとんでもなく低く、転職者が増加したのだ。
前出の本によれば、当時東京新聞などに転職した記者が二けたの数に達した上に敵同士で会った朝日新聞が創刊した時事週刊誌《アエラ》にも数名が受験し合格したという。
朝日グループを左翼勢力として罵倒した彼らが《アエラ》に今も残っているならどのような記事を書いているのかとても気になる。

 当時筆者が直接聞いた話としては産経新聞内部では、給与が思ったより低く自分たちを当時流行した「3K(即ち危険で苦労で汚いことを称する略称)」という言葉であてこすって「3K新聞」だと自嘲したと言う。
フジテレビ社員たちも「面白くなければテレビではない。」という春雄の叱咤激励の下、低次元の視聴率競争の点数稼ぎをしなければならない自分たちを「ハジ(恥)テレビ」と評価していた。

 春雄が急死するとフジサンケイグループは銀行員であった信隆の娘婿の宏明が突然グループ会長、産経新聞会長として登場し、グループの経営権を掌握しようとした。
しかしフジテレビの日枝現会長らが起こしたクーデターで宏明はすぐに追い出された。
新興企業のライブドアがフジサンケイグループの同じ支柱会社である日本放送の株式を買収しようとしたことも春雄が急死した後グループが持ち主のいない状態だったためだ。

 そうすると扶桑社はフジサンケイグループのどこに位置を占めているのか?
扶桑社はフジテレビ系列社としてテレビ番組の出版業務を主に担当してきた。
しかしグループが大きく改変されて1987年8月《週刊産経》、《正論》等を出版していた産経出版を吸収合併しグループ全体の出版社として生まれ変わった。(《なぜフジテレビだけが伸びたのか》、こう書房、1990)。

 産経新聞の最大株主は言うまでもなくフジテレビ(40,3%)だ。
そのフジテレビが扶桑社の株式を84,1%ほど保有しているという事実は扶桑社と産経新聞が系列関係にあることを意味する。
その証拠に韓国と北朝鮮、中国そして朝日新聞に徹底して食いつき取り憑いている月刊誌《正論》は現在「フジサンケイコミュニケーションズグループオピニオンマガジン」という名前で産経新聞社が発行し扶桑社が販売している。

 また産経新聞社が自ら告白しているように問題の歴史教科書は自分たちが出版しようとしたが文部省の指摘を受けて出版業務を扶桑社に責任を背負わせたができなかった。
どんな関係もなければ産経新聞はなぜ琉球大学の高島伸廞教授などが検定交渉を違反したと告発するほど扶桑社版歴史教科書選定に熱心だったのか?
参考に、扶桑社の最大株主であるフジテレビはMBCと、産経新聞は京郷新聞と業務提携関係を結んでいる。

 もっとおかしなことはフジテレビが問題の歴史教科書が検定を通過する直前まで我が国のドラマ「天国の階段」を放映し史上初めて「韓タメ(韓国エンターテイメント)」とい韓流コーナーを作って、韓流ブームを煽った点だ。
「天国の階段」が高い視聴率を記録するとフジテレビはまた「悲しい恋歌」を放映した。

 韓流スター、イビョンホンの写真集と映画「甘い人生」画報集が歴史歪曲教科書を出版した扶桑社から出版されたと聞いて、問題が起こった事件もそうだ。
前の表で見たようにイビョンホンの所属会社と投資配給社がはじめ契約を結んだポニーキャニオンはフジサンケイグループの系列会社だ。
ポニーキャニオンは芸能関係専門会社として出版部門はない。
随ってこの会社と出版関係を結べば同じ系列会社である扶桑社へ出版業務が移行するという程度は知って、日本で活動しなければならないだろう。

 産経新聞も留学生イスヒョン(李秀賢)君が大久保駅で酔った乗客を助けて息が絶えた事件が起きるとこれを大々的に報道し、先頭に立って義援金を集めたこともあった。
歴史を歪曲した教科書出版をけしかけた集団が韓流ブームを煽る現象を我々はどう理解したらよいのか?
表面と内面が異なる二重性、即ち建て前という属性を今更の様に気づかせてくれるよい見本だ。

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