「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳35 6章―⑤15円50銭        日本を訪問する我が国(韓国)の人たちは「15円50銭」を正確に発音する練習をして玄界灘を越えなければならない…

 日本弁護士連合会は関東大震災80年を迎えた2003年8月25日「朝鮮人大虐殺蛮行報告書」を発表し、関東大震災時の朝鮮人大虐殺は流言飛語のためだけでなく国家権力機関である軍隊と警察が組織的に動員されて実行された結果だと結論した。

 関東大地震の時、朝鮮人6000名以上、中国人600名以上が殺されたというキム・サンの指摘は歴史的な事実だ。
それだけでなく日本人も朝鮮人と間違われて相当な被害を被った。

 著名な演出家であり劇団四季の代表である浅利慶太は《文芸春秋》2004年3月号に新劇俳優兼演出家だった伊藤圀夫が関東大震災の起こった直後千田是也に改名した事情をあらためて紹介する。

 浅利によれば、関東大震災が起こると東京千駄ヶ谷にある自宅で走り出たが朝鮮人と間違われて自警団につかまって袋叩きにあった。
伊藤は「私は日本人だ。」と叫んだが、すでに暴徒と化した自警団員たちは竹槍で突き刺してしまった。
その光景を目撃した町内の酒屋の店員が叫びながら出て来て「その人は伊藤家の弟さんだ。」と言って九死に一生を得た。 

 伊藤は次の年新しくできた東京築地小劇場で仕事をすることになって芸名をじっくり考えた所、自身がかろうじて命が助かった千駄ヶ谷の「千田」と朝鮮を意味する「コリア」をとって「千田是也」にしたという。

 朝鮮人と日本人の間の運命を分ける瞬間を詩人壷井繁治は「15円50銭」という詩に表した。

壷井は関東大震災が起こった後汽車に乗って田舎に避難したが衝撃的な場面を目撃した。
重剣を持った憲兵が上がってきて汽車を検問し、床にしゃがんで座っているみすぼらしい身なりの労働者を発見した。
険悪な表情の憲兵はいきなり労働者を捕まえて「15円50銭」を発音してみろと命じた。
労働者は初めわけが分からずためらっていたが、日本本土の発音で「15円50銭」と答えると憲兵は何も言わずに汽車を降りて行ったという。

 この光景を見守っていた壷井も初めはどういうわけかわからなかったが、憲兵が汽車を降りた後、一人で「15円50銭」をぶつぶつ言っているうちに察した。
万一その労働者が朝鮮式抑揚で「15円50銭」と発音していたら、その場から引きずり下ろされて行き、処刑されただろう。

 汽車が止まる駅ごとに地方の自警団が車内をかき分けて入ってきた。「たちつてと」を正確に発音できない人たちを引きずり出したり車両から外へ投げ出したりした。
日本人も発音がおかしければ朝鮮人として追い込まれ同じ運命に置かれる。
はなはだしきに至っては窮屈な汽車の中で座席争いをし、形勢が不利になったある日本人が言い争いした人を指さして「あいつは朝鮮人だ。」と叫ぶと、乗客たちがその日本人を捕まえて車両の外へ放り出したこともあったという。

 関東大震災の時発生した朝鮮人大虐殺は日本が「劇場国家」という事実を世の中に認識させてくれた。
「無法の中枢」即ち内務省警務局が荒波だっている民心をなだめるために朝鮮人が毒を井戸に混ぜ、火をつけたという流言飛語を広めると、民衆は無法の中枢から下された流言飛語をそのまままねて大々的な「朝鮮人狩り」を始めたのだ。

 日本が劇場国家の特性を維持する限り歴史は繰り返される。
日本政府の地震調査委員会が2004年8月23日に発表した報告書によれば、南関東地方の地下で震度7規模の地震がこの先30年以内に発生する確率は70%になる。
一方、30年以内に第一次関東大震災と同じ型の震度7,9程度の地震が起きる確率は最大0,8%に過ぎない。 

しかし1855年に起きた江戸地震の時の震度の規模は震度6.9に過ぎなかったが7千名以上の犠牲者を出した。
また、6300名以上の犠牲者を出した阪神大震災(1995年)は「地震無風地帯」として信じていた関西地方に起きた大規模な地震だ。
そのため震度7,9規模の第2次関東大震災が、いつ、どこで、どのように起きるかについては日本の先端地震予測技術でも予測するのが難しいことだ。

 こんな事情を勘案しながら日本を訪問する我が国の人たちは今から「15円50銭」を正確に発音する練習をして玄界灘を越えなければならないということだ。
笑いごとではない。特に濁音「こ」を正確に発音しなければならない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました