日本が敗戦した後にも韓流ブームは街路灯のようにたびたび明滅してきた。
古代韓日関係史を研究する「韓日古代史ブーム」、《万葉集》を古代韓国語で解き明かすための「韓国語学習ブーム」、演歌の源流を訪ねるための「韓国演歌ブーム」、88オリンピックの時の「韓国グルメ(食道楽)ブーム」、ワールドカップ開催時の「韓国旅行ブーム」。
こうしてみると最近の韓流ブームは突然空から零(こぼ)れ落ちた現象では決してない。
そうならば、歴史上3番目に該当する近来の韓流ブームはどのような性格のブームであるのか?
この点については、先ず韓流専門家の診断を聞いてみよう。
九州地方の福岡市では「国境を越えた文化の変容」というシンポジウムが開かれた。
主題は「冬ソナブーム」についてだった。
ある男性専門家は冬ソナの人気要因として主演男優の魅力、昔のドラマに対する郷愁、韓日関係の風俗等を挙げて「どれか一つではなく、いくつかの要因が複合された現象」だと解き明かした。
そうしながら、この専門家は「冬ソナは初めてクールな韓国、冷静な韓国のイメージを日本に植え付けてくれた」と評価した。
ある女性専門家は「冬ソナブームは突然空から零れ落ちてきたものではなく,1990年代に韓国に垢すりとか、グルメ旅行に行った若い女性たちが韓国を遅れた国ではなく日本と同時代的な国として見始めた経験が韓流ブームをはぐくんだ背景」と解釈した。
「韓流の伝道師」として知られた小倉紀蔵、東海大学助教授は「日本人は相手の領域に踏み込むコミュニケーションをお互い憚る傾向がある。」と前提して、「韓国ドラマの濃厚な人間関係がある世代以上の日本人には郷愁として、それ以下の世代には新しいコミュニケーションの方法として魅力を感じること」だと韓流ブームの背景を分析した。《韓国ドラマ、愛の方程式》(ポプラ社、2004)
韓流が日本人の「生涯学習意欲」を後押しているという主張も提起された。
文化庁のある幹部は日本の中高年世代が何かもっと学んでみたいという渇望を感じていた点に「日本と似ているが、少し違う韓国が隣にいたという事実に気づき、生涯学習の対象として韓流にのめりこんでいるという事」だと分析した。
外国の言論も韓流熱風に大きな関心を見せて背景を分析するのに忙しい。
アメリカ唯一の全国紙ユーエストゥデイ(2004、12,10)は「韓流熱風は韓日両国関係が急反転している信号」だと分析した。
続いて、アメリカの退潮と共にアメリカの大衆文化に対して代案として韓流熱風が吹いていると分析し、「ペヨンジュンに匹敵する唯一のアメリカ人はロバート レッドフォードだが、今や彼は時代遅れだ。」とある中年女性のコメントを紹介した。
ニューヨークタイムス(2004,12,23)も「韓国男性がなぜ真に男性らしいのか日本女性に聞いてみよ」という題目で「不確実性と悲観論に満ちている日本社会と女性たちが抱く過去への郷愁と精神的な一体感に対するあこがれを刺激しているのがヨン様熱風」だと分析した。
さらに続けて、韓国を植民支配し青い目のアメリカ人から目を移して、日本人女性が今は韓国男性を求めていると指摘し、ヨン様ブームは韓日関係も大きく変化するだろう予想した。
そうして「23億ドルの男」ヨン様の魅力として日本の男性には見つけられない誠実さ、純粋さ、恵み与えることを知る大きな度量、熱情、柔らかさ等を挙げた。
韓流専門家を自認する数多くの人たちが今もそれなりの分析評価をあふれるほど出している。
筆者は韓流専門家を自認している者ではないが、日本人の国民性を分析する者として韓流ブームに接近してみることにする。
即ち、筆者が日本人論を展開するため第1章で言及した曖昧模糊であること、本音と建て前、劇場国家という3つのキーワードで韓流ブームの正体とその方向を予測してみることにする。
日本のヨン様ファンは「冬ソナ」で感じた魅力の一つとしてセリフが直接的で率直である点を認めている。
例えば、「愛しています。」、「好きです。」というセリフが自然に、そしていつでも飛び出してくることに大きく感動したというのだ。
日本語でも勿論「愛しています。」、「好きです。」のような愛情表現がないわけではない。
しかし、日本人はそんな直接的な愛情表現はなかなか使わない。
なぜならそんな言葉を掛けたら相手方に無視され傷つく心配のためだ。
こんな気持ちは日本の恥の文化とも密接な関連がある。
即ち自身の体面をまず考えるために率直な告白が出てこないという話だ。「故障」を「準備中」と言い、「敗戦」を「終戦」と言うように。
日本人は日常生活でもなるべく婉曲な表現をする。
万事に曖昧なことが特徴だ。
曖昧な態度が要求される社会では当然直接的で率直な表現は禁物だ。
言語学者、芳賀綏(東京工業大学教授)によれば、日本民族の特徴は「凹面型」の性格だ。
即ち温順で消極的で徹底できなくて、おとなしく素直で、細かくて、内向的だ。
また、攻撃よりは忍従し、対立よりは和合を選り好み、原理原則よりは現実適合を優先し、目標達成志向よりは集団維持の性向が強い。
韓流ブームをこのような定義で分析すれば、我が国の男性の「凸面型」性格に日本の中年女性たちが大きい魅力を感じているということだ。
日本人の曖昧な態度は建て前と本音を区別して使う習慣と密接な関連がある。
当然のことに男女、夫婦の間にも建て前と本音が存在する。
本音では愛している、好きだという言葉をかけたいが、先ず建て前を考えるためにそんな言葉がなかなか飛び出してこないのだ。
こんなじれったい感情を一挙に解析してくれるのが正に「冬ソナ」だと韓流専門家は分析した。
「冬ソナ」ブームが数か月の間に急速に伝播した現象は日本が「劇場国家」と言う証明だ。
日本で冬ソナが放映されたのは韓国より3年遅れ、中国やタイに比較してもしばらく遅れた時点だ。
しかし、一番遅れたが一番大きな規模の韓流ブームが日本で起こったことは決して偶然ではない。
「模範的中央」を模倣しようという「横並び現象」が劇場国家の特徴だからだ。
「冬ソナ」は今やもう韓国のドラマ「冬の恋歌」ではない。
外国の文物を受け入れ、即刻日本化してしまう模倣の天才である日本人は「冬の恋歌」を「冬のソナタ」として圧縮させた。
ペヨンジュンも韓国人「ヨン様」ではなく、日本人「ヨン様」だ。
生け花(コッコッチ)が生け花として、相撲(シルム)が相撲としてキムチ(韓国語の発音ではムは口を結んで言う;訳者注)がキムチ(日本式発音だとムをしっかり発音する;訳者注)変わったような話だ。
そうならば冬ソナブームはいつまで続くのだろうか?
ヨン様ブームは劇場国家日本の建て前現象なのか本音現象なのかではない。
劇場国家の理論のように模範的中央が変わればいつでも模倣の対象が変わる。
「様」という最上級の尊称をつけた対象がアランドロンからデイビッドベッカムへ、デイビッドベッカムからヨン様に変わってきたようなことだ。
こうしてみると、ヨン様ブームや韓流ブームはいつか収まる一時的な現象だ。
即ち、「外国の新しい模範的中央」が出現する時までの期限付きブームと言うことだ。
勿論日本女性たちの模範的中央がぺヨンジュン一人ではなく、イビョンホン、チャドンゴン、ウォンビン、コンサンウなど複数の韓流スターとしての地位を確立していることを見れば、「超短期」に終わる現象ではない。
その上、2004年11月成田開港以来最大の人波を集めたヨン様の写真が、2007年春から高校1年で使用する地理歴史教科書の「韓国の生活」に登場する予定だなんて、一旦はヨン様ブームも一瞬で収まったのではないのだ。
韓流ブームが起きる前にも我が国の文化に関心を持つ日本人がかなりいたという事実を考えれば、韓流ブームが冷めてしまったとしても決して悲観したり落胆したりすることはない。
韓国文化に対する日本人の関心度が本来の位置に戻るだけであり、それ以上でもそれ以下でもないからだ。
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