日本の武士道精神が全世界に知られたのは新渡戸稲造(1862~1933)が1899年アメリカで英文の《武士道、日本の精神(BUSHIDO,THE SOUL DF JAPAN)》を出版してからだ。
新渡戸は「有名なベルギーの法学教授に日本の学校では宗教教育を行っていないがどうやって道徳を教えているのか?」という質問を受け、答えに窮してこの本を執筆するに至ったと序文で明らかにしている。
繰り返すが、新渡戸は日本の基本道徳体系が武士道精神に基づいていることを西洋の人々に広く知らせるためにこの本を執筆したのだ。
そうして新渡戸は「武士道はその象徴であるさくらのように日本の土地に固有の花だ。」と武士道を定義した。
映画「ラストサムライ」のヒット、自衛隊のイラク派兵と時を同じくして日本では「武士道」という言葉が再び広く話題になって知られるようになった。
剣の代わりにギターをもって「切腹!」を絶叫する若い芸能人まで登場して、爆発的な人気を集めている近頃だ。
ドイツワールドカップの時も日本代表チームの象徴は「侍ブルー」だった。
こんな武士道ブームに便乗して浜田靖一防衛庁副長官は北海道千歳基地からクエートに出発する陸上自衛隊先発隊を前にして「武士道の国から来た自衛隊員の気概を見せて来い」と訓示した。
自衛隊自衛官たちも「侍精神の精髄を見せて帰ってきます。」と答えたという。
ある時は「軍服を着たサラリーマン」、「税金泥棒」と皮肉られた自衛隊員がイラク派兵で「軍服を着たサムライ」として生まれ変わった瞬間だ。
しかし新渡戸が100余年前に《武士道》を執筆する時《葉隠れ》(18世紀初葉に武士道を論じた本)式好戦的な武士道を念頭に置いてはなかった。
新渡戸は武士道が封建社会の遺物ではなく日本の道徳や倫理を構成する根幹であると指摘し、仏教の善、神道の忠孝、儒教の政治的倫理が武士道精神を形成する基本精神だと解釈した。
さらにまた彼は「武士道の将来」という最後の章で、武士道は「その象徴である桜の花のように四方の風に乗って散るのだ。
その後にも、香気をもって人生を豊かにし、人類を祝福するのだ。」と予見した。
それからから7年後の新渡戸は当時台頭していた民本主義を借りて武士道に変わって道徳体系に「平民道」を提示することもした。
新渡戸が《武士道》を出版したのは日清戦争が終わった4年後のことだ。また、日露戦争が始まる5年前だ。
一説によればアメリカのルーズベルト大統領は新渡戸の《武士道》を読んで大きな感銘を受け30冊を購入して友人たちに分けてやり、5名の子供たちにも強制的に読むよう勧めたという。
日本軍の戦況が有利な時期にロシアとポーツマス講和条約を締結することができたのは《武士道》を読んで感銘を受けたルーズベルト大統領が仲裁役を受けてくれたおかげだったという。
本が有名になると新渡戸も京都大学教授、一高校長、国連事務次長として出世の道を歩んだ。
しかし、日露戦争の勝利に陶酔した日本がその後、軍国主義の道を駆け上ると求道的な「武士道」よりは「武士の本分は死ぬ道を探すことだ」という伝統的な「葉隠れ武士道」が流行し始めた。
結局、葉隠れ武士道に心酔した軍国青少年たちが大量に育成された。
陸軍の神風特攻隊、海軍の人間魚雷特攻隊がその典型だ。
人類に祝福をもたらすという武士道が人類の災難に急変したのだ。
軍閥と軍国主義が将来人類に災難をもたらすだろうと批判した新渡戸もすべてがひっ迫して、逃げるようにカナダに移住した後、その地で寂しく客死した。
新渡戸の本を日本語に翻訳した矢内原忠雄(経済学者、1893~1961)は中国侵略を批判して東京大学教授職から追われた。(矢内原は敗戦後再び東京大学に復帰し総長を務めた。)
歴史は繰り返される。今、イラク派兵を「武士道の発露」だと主張する勢力が言う武士道は新渡戸の「求道的な武士道」ではなく、「好戦的な葉隠れ武士道」だ。
例えば扶桑社版歴史教科書出版を主導してきた西尾幹二は《国民の歴史》で新渡戸をいわゆる「進歩的文化人の原型」だと非難している。
事由はと言えば、新渡戸が1911年から1912年にかけてアメリカの各大学で166回ほど講演したが、当時問題になった日系移民排斥運動については一言も言及しなかったと言うのだ。
西尾は続いて新渡戸がこの事件は日本にも問題があるので日本も反省しなければならないと言った事実を指摘し、当時5千円札に肖像が印刷された新渡戸に向かって「何ら紙幣に登場する価値がない人物」だと面目をつぶした。
西尾の後任会長として選出された八木秀次も《正論》2004年5月号で「新渡戸の《武士道》は戦闘で勝利するという武の本質的価値を無視して武士に牧師、僧侶、道徳家になれと説教している。
そんな本がなぜ百年以上も武士道の代表として君臨しているのか理解できない。」とぶつぶつとつぶやいた。
八木はまた新渡戸が武士の本来の性格である戦闘者としての性格を無視したことは、彼が日本で武士を探り求めたのではなく、キリストを追求したためだとし、《武士道》は戦後民主主義と一脈相通じる反戦、非武装、を奨励する本だと酷評した。
このように見れば、自衛隊のイラク派兵を武士道の発露だと主張する勢力が考える武士道は「武士道の究極的な理想は結局平和」という新渡戸の求道的な武士道では絶対にない。
日本を破滅の道に追いやった侵略的、好戦的な葉隠れ武士道の復活が正に彼らが志向する目標だ。
彼らは葉隠れ武士道を復活させるために今憲法を改訂し正式軍隊を保有しようという運動を展開しているのだ。
日本がイラクに大規模部隊を派兵したことと時を同じくして、新渡戸の肖像も五千円札からなくなった。
西尾のような右翼圧力のために五千円札の人物肖像が2004年11月1日新渡戸から樋口一葉(女流小説家、1872~1896)に変わったのかどうか知るすべもない。しかし、平和主義者新渡戸の肖像が消えた時点がイラク派兵時期とかみ合わさっているという事実を考えれば偶然の一致ではないという思いが生ずる。
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