「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳20 3章ー② 小泉は脱亜論継承者

 小泉総理が韓国と中国の非難にもかかわらず就任後5回ほど靖国参拝を強行したのは自民党総裁選挙の時、靖国戦没者の集まりである日本遺族会に手渡した一つの約束のためだ。 

 自民党の最大派閥である「橋本派」会長である橋本龍太郎に付いた小泉は、自分が属する「森派」が弱小派閥であるため国会議員の票数が絶対的に不足した。
これによって、小泉陣営は全国の党員票を集中攻略する戦略を選択した。即ち、小泉陣営が最初に狙ったのが11万票の党員票を持っている日本遺族会だった。
党員票の最大票田である遺族会は本来橋本の支持基盤だった。
彼が長い間、遺族会の会長職を引き受けていたためだ。しかし当時、橋本は遺族会と関係が非常にぎすぎすしていた。

 遺族会は会長である橋本が総理になれば、中曽根総理が1985年に初めて断行した「8月15日公式参拝」を再び復活させてくれることを固く信じた。
しかし、橋本は総理になった後(1996年1月)遺族会との約束を守らず、自身の任期中誕生日がある7月に参拝することで「終戦記念である参拝の約束」の代わりにしてしまった。
遺族会は橋本の背信に激怒した。
そんな顛末をよく知っていた小泉陣営は総理に押してくれれば必ず「8月15日公式参拝」を復活させるという約束手形を遺族会に手渡した。
結局、小泉は遺族会の全面的な支持を受けて最大派閥の領袖だった橋本を破って、自民党総裁と総理の座を獲得した。

2001年自民党総裁選立候補者達。左から麻生太郎、橋本龍三郎、亀井静香、小泉純一郎。

遺族会の会長出身である橋本が総理在任中、8月15日公式参拝を忌避したのは中国との関係が悪化するのを躊躇ったからだ。
橋本は本来中国との国交を正常化した「田中派」出身だ。
田中派がその後「竹下派」として、竹下派が橋本派として看板を変えて掲げたが、対中国関係の主導権はいつもこの系統の派閥が掌握していた。「井戸を掘った人を生涯大切にする。」という中国の格言のように、中国政府が田中―竹下―橋本派として続いたいわゆる「経世会」を特別待遇してきたためだ。

 中国政府が小泉総理の靖国参拝に韓国政府よりももっと強硬な態度を見せたのは「先人たちが苦労して掘った井戸に小泉という邪魔者が出て来て毒をまいた。」と考えたためだ。
それもそのはずで、小泉は「親台湾派」だった福田赳夫の書生として政治を始めた人物だ。福田は政敵田中が中国との国交を正常化した総理として後世に名前を残すことが納得できなかった。
それで、福田派は田中派に対抗するために親台湾派として修正して航路を定めた。
福田派の元祖格である岸信介が親台湾派だったこともその理由だ。

靖国を参拝する小泉

小泉はこのような「反中国の気質」の環境で育った政治家なので総理になる前に中国と良好に接触できるわけがない。
もちろん韓国とも同じである。小泉総理は済州島頂上会談(2004年、7月)で「福田総理は済州島が好きで、一度行ってみなさいと言った」という逸話を披歴したが、小泉が総理になる前に我が国に来たという記録は目を皿にしてみてもない。
英国、グレンイーグルスG8頂上会談の時(2005年)ブッシュの誕生祝いでエルビスプレスリーの「私はあなたがほしい、必要だ、私はあなたを愛している。(I want you; I need you, I love you. )」を歌うほどブッシュに気を働かせてお膳立てしても、韓国や中国に対しては目でなく鼻も効かせないのは小泉総理の正にこんな経歴のためだ。

 総理就任後の言行を暴いてみれば、もっと一目瞭然となる。

小泉総理は2004年2月10日に開かれた衆議院予算委員会で「靖国にA級戦犯が合祀されている状況を私は全く意に介さない。」ときっぱり言った。また、「他の国々がこうしろああしろと騒いでも心を変える意思は全くない。」と言い、中国と韓国の非難を黙殺した。
また、2005年5月16日に開かれた衆議院予算委員会でも「どんな追悼方法がいいかについて他の国が干渉することではない。」と断言して、「いつまた参拝するかは適切な時期に判断すること」とし、参拝を継続する意志を再び明らかにした。

 小泉総理はそうしながら、「孔子も罪を憎むが、人は憎むな」と説教したと言い、絞首刑の罪科を問われた東條英機を参拝することの何がそんなに悪いかと反撃した。
これに対して朝日新聞は「孔子がその話を聞けば、ため息をついて嘆くだろう」という社説を掲載し、総理の誤った認識を次のように咎めた(2005,5,18)

「『罪を憎むが、人は憎むな』と言う孔子の言葉は被害を被った側が加害者を許すとき使う言葉だ。

『過失を犯しておいて、それを認めないのは正に過失だ。』と、言ったことを正確に知らなければならないのだ。』」孔子の言葉を知っても正しく知れという忠告だ。

 参考に日本の中国文学者一海知義(いちかいともよし)によると、いくら文献をくまなく探しても孔子の言葉にはそんな文言はないという(朝日新聞、2005,5,31)。
一海は「私は50年以上中国の古典を読んできたが孔子がそんなことを言ったかわからなかった。
少なくとも信頼に値する文献には見えない。」と指摘し、「全く趣旨とは関係がなく、自分の状況に有利な部分だけをとって利用するやり方を『断章取義』と言うが、これは中国では軽蔑されてきたやり方」だとチクリと厳しい忠告をした。

 孔子の言葉が出てきたから言うのではないが、小泉総理は西大門独立公園を訪問した時も(2001,10,15)、《詩経》の詩を一言で要約した言葉「思無邪」という分かりにくい文句を残した。
この言葉の真意について韓国で論難が起こると、小泉総理は内閣広報雑誌《毎日マガジン》に「『思無邪』は《詩経》に出てくる言葉で、ひたすら良い馬を育て、馬が元気に走ることができるよう願う心に由来すること」であるとその思いを紹介した。
そうして、「どんな問題にも正直な心を持つこと、邪悪がない心で対応していきたい。」と付け加えた。

小泉総理が出た慶応大学の創立者、福沢諭吉(1835~1901)は1885年3月16日付けの時事新報に、有名な「脱亜論」を掲載して、「中国、朝鮮のような落後した東方の悪友とは交わりを断らねばならない。」と主張した。
脱亜論の主張がその後、韓国併合と中国侵略に繋がったということは否定できない歴史的事実だ。

 小泉総理が脱亜論と関係が深い西大門独立公園を訪問して、解釈に論難の余地が多い思無邪という文言をわざわざ芳名録に残した真の理由は何か?
120年あまり前の福沢のようにアジアから一番良い馬、即ち、ひたすら「日本」だけを力強く育て、日本がいつも力強く駆けることができるのを願う心でそう言ったか?
万一、韓国と中国がいくらか騒いでも、靖国参拝を断念しないという覚悟を固める意思で残したならば東アジアの開闢ははるかに遠い。

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