大江健三郎の「あいまいな日本と日本人」
川端がなぜ日本の審美性を強調したのか、その解答を大江健三郎の授賞記念講演の中に探すことができる。彼の記念講演の中の一節を引用してみよう。
「川端康成の講演は非常に美しくまた曖昧模糊としていました。
私は今「vague」という単語を使いましたが、この言葉は日本の「あいまいな」という形容詞に該当します。
川端は日本的なことを東洋的な分野に広げて独自に審美主義の話をしました。
そして現代を生きる自身の心情を表現しようと中世の僧侶の詩を詠みました。
しかし彼は自身の生きている世界と文学について即ち「美しい日本の私」について(明瞭に)説明できなかったために中世の詩(短歌、俳句)を頻繁に引用したのです。
その上で彼は次の言葉で講演を締めくくりました。『私の作品を虚無的と批評する人がいるが西洋式のニヒリズム表現とは相いれないし、心の根本が違う。』
正しく言えば、私は26年前ここに立った川端のように「美しい日本の私」を論ずる考えはありません。
さきほど私が川端の「あいまいさ(韓国語で아이마이사새と表記している;曖昧模糊と併記)」についてvagueという単語を使いましたが、同じような「あいまいさ」という日本語をambiguousと翻訳したいと思います。
それは私が自身について「ambiguousな日本の私」と表現するしかないためです。」
一言で、大江は川端が言った「美しい日本と日本人」は観念の世界にしか存在しない蜃気楼即ち幻想でしかないし、川端が現代の日本について明瞭な説明をすることができなかったために中世の詩(和歌、俳句)を頻繁に引用したと批判したのだ。
そうして大江は自身が過去の美意識や伝統より現代の日本が内包している「あいまいな」性格について話したいと次のように講演を進めた。
「開国以後120年の近代化が続いている現代の日本は根本的に『あいまいさ』が二極に分裂していると私は観察しています。国家と人間を同時に分裂させるほど強烈で先鋭的な曖昧さは日本と日本人の頭の上に多様な形で表面化しています。
日本の近代化は一心不乱に西欧を手本としてきましたが、日本はアジアにあって日本人は伝統的な文化を守ってきました。
この曖昧な進行過程で日本人はアジアに対して侵略者としての自身を知らずに来ました。
また、西欧に対して全面的に開かれてはじめて近代化した日本の文化は、西欧から見ればいつも理解することが難しい、理解が遅れる暗い面が残されてきました。
その上、アジアで、日本は政治だけでなく社会的文化的にも孤立しました。
ポストモダンの日本は国家としてまた日本人として二重性を内包しています。
日本、日本人は50年前の敗戦を契機に非常な悲惨と苦痛から再出発しました。
新生日本を支えてくれるのは、民主主義と不戦の誓いであり、それが新しい日本の根本モラルであります。しかしそれも今では徐々に崩れています。」
大江は、続いて、帝国憲法を支持した市民感情が戦後半世紀経つ民主主義憲法の下でも残っているとし、右翼勢力の改憲の動きを批判した。そしてそれは広島と長崎の原爆犠牲者に対する背信だと糾弾した。そうして講演末尾に望ましい日本人像として「品位ある日本人(decent Japanese)」を提示した。
「品位ある日本人」が備えるべき徳目としてはヒューマニティ、正々堂々とした、毅然とした、寛容、などが入る。(大江が言った「品位ある日本、日本人」は日本の良心勢力と類似語だ。日本列島に良心勢力がどのくらい実在して、独島や教科書歪曲問題をあおる勢力がだれなのか他の章でだんだん明らかにする。)
日本、日本人の曖昧さを指摘した人物は大江が初めてではない。ルースベネディクトは《菊と刀》第1章で次のように日本と日本人の曖昧さを羅列している。
「日本に関する書物にはあらゆる矛盾が横糸と縦糸として織り込まれている。
刀も菊も一つの作品の形を同時に構成している部分だ。
日本人は最も伝統的でありながらも柔軟で、軍国主義的でありながらも耽美的だ。
不遜であるが礼儀正しい。
頑固であるが融通性がある。
従順であるが反抗し、忠実であり不忠実だ。
勇敢だが、底力は弱い、
保守的であるが新しいことを受け入れる。」
筆者は大江が指摘したこの曖昧さを日本と日本人論を展開するのに、初めてキーワードとして活用する考えだ。そうならば、日本、日本人の曖昧さは どこから由来するのか?筆者はそのことが「建前と本音」という特性に由来すると見た。
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