2章 靖国の壁 高麗神社の嘆き
新年元旦、小泉総理をはじめとする日本人が靖国神社に雲のように群がり集まる。
同じ日、また異なる大勢の日本人が渡来人氏族神を祭神として祀る百済新羅、高句麗系神社を参拝しようと道を埋める。
この矛盾をどのように理解できるのか?
靖国神社と高麗神社
日本人は新年を迎えることを、神社や寺を訪れ祈願する初参拝(初詣)から始める。
警察庁が集計したところによると、2006年正月3が日で神社や寺を訪れた参拝客は、約8900万人に達したという。
日本人の4名中3名が正月3が日に参拝を済ますことになる。
小泉純一郎総理も2004年正月元旦にA級戦犯を合祀した靖国神社を電撃的に参拝した。
総理が正月元旦に靖国神社を参拝するのは前例のないことだ。
筆者はちょうど昔の高句麗王族である若光(716年渡来)を祭神として祀っている高麗神社[高句麗を古代日本ではコマ(高麗.狛)と呼んだ。参考に高麗の日本式発音はコウライだ。現在の宮司は若光の59代目の子孫]の参拝の光景を取材しようと行った車の中でこのニュースを聞いた。
正午ごろ、高麗神社周辺は数キロメートルに達する交通渋滞のために、前に進めないほど混んでいた。
高麗神社の分社は東京、埼玉地方だけでも130か所を超える点を考えれば、高麗神社本社と分社を訪ねる参拝客は、正月元旦だけでも数百万名を十分に超えるだろう。
いや違う。
全国に散らばっている百済系、高麗(高句麗)系、新羅系神社の参拝客全部を合わせれば、全人口の半分に肉薄するかもしれない。
百済すなわちペクチェ(百済)を意味する百済王神社、抗田(くまた)神社、高麗即ち高句麗を意味する許麻(こま)神社、狛(こま)神社、新羅即ちシンラ(新羅)を意味する白木(しらき)神社、白子(しろこ、しらこ)神社、白城(しらき)神社、白山(しらやま)神社…。
日本の神社や神宮は本来我が国から渡っていったものだ。
在日同胞作家、故キムダルス(金達寿)氏によれば、日本に神社と神宮を伝来した人は、盾や剣を掌った新羅系渡来人集団「天日槍。新羅の王として日本に渡来し、兵庫県出石に住みついた説話中の人物。一人ではなく集団という説が有力だ。」だった。
キムダルス氏は、その根拠として「487年に新羅に神宮が作られた」という《三国史記》の記述を例に挙げ、これが韓半島と日本列島をひっくるめ初めて登場する神宮の記録だと指摘した。
キムダルス氏また、神社という言葉の語源は新羅の始祖であるパクヒョクコセのコセ(居世、尊敬語)が「コソ(許曾)」へ変化したと指摘し、各地の神社に「許曾神社」という名前がついていることと「村社」という姓を「むらこそ」と発音するという事実を例として挙げた。(《歴史の中の日本と朝鮮》、講談社、1981)
新年元旦から小泉総理をはじめとする大勢の日本人が超国家主義の象徴であった靖国神社を参拝しようと東京九段下に雲が沸くように押し寄せる一方、また異なる多くの日本人が韓半島から渡ってきた渡来人の氏神を祭神として祀る百済、新羅、高句麗系神社を参拝しようと道をぎっしり埋めている現状を我々はどう理解するのか?
正月一日、超国家主義の象徴であった靖国神社を参拝した人たちと渡来人系の神社を参拝した人たちの種は、決して違わないだろう。今年の正月一日に靖国神社を参拝した人が来年の正月には渡来人の渡来人系の神社を参拝できるし、その反対の事もいくらでも起こりえるのだ。
渡来人氏神、即ち韓国から渡ってきた祖先を今も真心こめて祈る一方、韓国を侵略.強奪した歴史的事実を否認する日本人の矛盾と二重性、即ち「曖昧さ」はどこから由来するのだろうか?
また、一体なぜ小泉総理が韓国、中国の猛反対を黙殺して、靖国神社に参拝を強行するのか?
小泉総理は一体、なぜそんなに意地を張って融通が利かないのか?
コメント