2022-05

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「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳41 7章―③ 「馬鹿なやつだ」の真相 ー伊藤博文が暗殺されたときの最後の言葉ー

 2005年は乙巳保護条約が締結されてから百周年になる年だった。また、韓日併合の元凶伊藤博文を狙撃した安重根義士が旅順刑務所で絶命してから95周年になる年でもあった。安重根義士は伊藤が絶命した日である26日を選び1910年3月26日に絞首...
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「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳40 7章―②日本はアジアではない 

 関川が「日本はアジアではないと考える」というと、いわゆる東亜大学学長である人が「文明論的に見て日本はアジアではない。」と相槌を打っている場面でも筆者は開いた口が塞がらなかった。  新しい歴史の会の前会長西尾幹二も《国民の歴史》で次...
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「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳39 7章 脱亜論の壁 日本の「偉人」福沢諭吉と伊藤博文の実態 

 「韓国が安重根を今も讃えている実態」は日本とは明らかに異なる。逆に言うと日本はアジアではないと考える。」―関川         「同感です。私も文明論的に見て日本はアジアではないと考える。」―山崎 7章―① テロリストとして政治界...
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「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳38 6章ー⑧日本人のための弁明、大川常吉を考える<大川常吉は、関東大震災の時、朝鮮人虐殺に立ち向かったある日本人警察官>

 震度7,9規模の関東大震災の時、当時東京一帯は甚大な被害を被った。死亡者9万9千名、行方不明者4万3千名、負傷者10万名以上、被害世帯69万世帯…。 朝鮮人虐殺も全域で起きたことではなく、東京を中心に関東のある地方に限られたことだ。こん...
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「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳37 6章―⑦ 日韓議員連盟会長森喜朗の本音

 ある人はなぜ80年前に起きた朝鮮人虐殺を今更のように悪く言うのかと詰問するかもしれない。そこには理由がある。森喜朗前総理が総理職を退任した後、日韓議員連盟会長として推戴されて現在両国政界の架け橋の役割をしている人物だ。2004年2月相撲...
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「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳36 6章―⑥代表的な曖昧模糊とした日本人内村鑑三

《代表的な日本人》(1908)の著者内村鑑三は明治時代の代表的な知性人として知られた人物だ。初、中、高等学校の歴史教科書に日露戦争に反対した平和論者として必ず登場する歴史上の人物だ。  敬虔なクリスチャンであった内村は無教会主義を標...
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「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳35 6章―⑤15円50銭        日本を訪問する我が国(韓国)の人たちは「15円50銭」を正確に発音する練習をして玄界灘を越えなければならない…

 日本弁護士連合会は関東大震災80年を迎えた2003年8月25日「朝鮮人大虐殺蛮行報告書」を発表し、関東大震災時の朝鮮人大虐殺は流言飛語のためだけでなく国家権力機関である軍隊と警察が組織的に動員されて実行された結果だと結論した。  ...
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「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳34 6章―④キム・サンの遺言は的中した

「義和団の乱」が起こった6年後に生まれたキム・サン(1905~1938、本名張志樂)は日本留学を経て中国に渡り、抗日独立運動家として活躍したが日本のスパイ、トロツキー分子という冤罪を被って、延安において33歳で処刑された。キム・サンが延安...
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「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳33 6章―③サッカー義和団の乱―延長戦

 サッカー義和団チームが文化大革命の時のようなスローガン(造反有理、革命無罪)を取り出して「愛国無罪」と叫ぶ党の方針だけでも神社、歪曲チームとサッカー義和団チームとの後半戦試合はサッカーの試合ではなく格闘技へ広がる危険が大きかった。幸い、...
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「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳32  6章―②サッカー義和団の乱―後半戦

 韓国で点火された反日運動が中国に伝播して火が付いた形で中国義和団の乱が2005年4月再びキックオフされた。  理性を失った「サッカー義和団チーム」が上海の日本総領事館を襲撃すると「靖国神社参拝及び教科書歪曲チーム」(以下神社、歪曲...
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