2022-06

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「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳55 9章―⑦島根県議員たちの出身階層

 この前の反韓派、嫌韓派勢力の共通分母が「戦前世代」だったなら、最近の反韓派、嫌韓派の最大公約数は「日本人拉致問題」だ。これらは本来天皇の過去史謝罪、従軍慰安婦補償問題、独島領有権問題、教科書歪曲問題が表面化するたびにハチの群れのように反...
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「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳54 9章―⑥韓国語を熟知している反韓派、嫌韓派

 現在日本で活動中の嫌韓派論客や韓国問題専門家たちの大部分の共通点は韓国大学に付設されている語学堂を出たということだ。黒田勝弘も1978年延世大学語学堂に留学して韓国語を学んだ後、1980年に共同通信のソウル特派員として仕事をしていた。 ...
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「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳53 9章ー⑤黒田は井上角五郎の後裔か

 黒田と重なるイメージのもう一人の人物は福沢諭吉の指示を受けて、京城から漢城旬報の発行に関わった井上角五郎だ。  福沢は壬午の軍乱後、謝罪使として入ったパクヨンホの要請を受けて、朝鮮の新聞発行と学校教育を支援する弟子7名を朝鮮に派遣...
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「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳52 9章―④真似ようとするならば雨森芳洲を真似よ

 そんな新井も初めは日本人が馬韓(百済の前身)の後裔だと言ったが、後で言葉を翻した。前東京大学教授江上波夫が1958年主張した「騎馬民族説」は実は新井がその源流なのだ。(《日本の朝鮮文化》、中央文庫、1982)。  幼年時代から朝鮮...
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「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳51 9章ー③黒田は新井白石の後裔なのか

 筆者が投げかけた「黒田勝弘、あなたは何者か?」に対する回答が来るとしてもこの本が出版された後に来るだろうから筆者なりにあらかじめ結論を引き出してしてみよう。ある二人の日本人が黒田と重なって見えるからだ。一人は江戸時代中期の儒学者新井白石...
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「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳49 9章  知韓派日本人の壁;知韓と嫌韓の間

雨森(芳洲)は釜山倭館に長期滞在して慶尚道方言を駆使するほど朝鮮語が巧みだ。新井(白石)は朝鮮通信使から誓文を受け付けてから漢文に自信を持てた。その二人のうち一人は朝鮮との善隣を強調する道を選び、もう一人は朝鮮を軽蔑し軽んじる道を選んだ。...
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「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳48 8章ー⑥ 韓流(ハンリュウ)と寒流(ハンリュウ) ()は訳者注

 韓流ブームがこのまま続けば韓日関係の発展にも大きな助けになるだろうことは二言する必要もない。NHK放送文化研究所が2004年9月全国の2200名を対象に調査した結果、応答者(1289名)の38%が「冬の恋歌」を視聴し、視聴した人たちの半...
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「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳47 8章―⑤「ヨン様」と「何様」

「朝鮮人」、「鮮人」と言う単語が朝鮮人を卑下する俗称の代名詞ということは読者もみな知っている事実だ。「朝鮮人の分際で」、「朝鮮人は仕方がない。」、「朝鮮人は汚い。」等、日帝時代の朝鮮人を蔑視した表現を列挙すればきりがないだろう。  ...
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「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳46 8章―④ 嫌韓勢力の反撃

 日本の韓流ブームは新興宗教ブームを引き抜いて型で押したようだ。「ヨンプルエンザ(ヨン様とインフルエンザの合成語)」にかかって「ヨン様教」に入信した信徒たちを日本では「ソナチアン」と呼んだ。 「ソナチアン」達は教主ヨン様の写真を居間にかけ...
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「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳45 8章―③3番目の韓流、冬ソナブーム  

 日本が敗戦した後にも韓流ブームは街路灯のようにたびたび明滅してきた。古代韓日関係史を研究する「韓日古代史ブーム」、《万葉集》を古代韓国語で解き明かすための「韓国語学習ブーム」、演歌の源流を訪ねるための「韓国演歌ブーム」、88オリンピック...
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