2022-07

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「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳61 10章―⑤松下村塾と松下村塾が輩出した政治家達

 長岡藩の小林は幕末の思想家佐久間象山(1811~1864)の弟子だった。長州藩の吉田松陰(別名、寅次郎 1830~1859)も佐久間の門下生だった。二人は名前が似ているだけでなく才能が特出していて、当時「二頭の虎」と呼ばれることもあった...
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「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳60 10章ー④軍国主義を復活させる米百俵」

「明治初期、ひどい窮乏に苦しんでいた長岡藩(今の新潟県長岡市一帯)に救援枚百俵が到着しました。今の窮乏のために使えば何日も持たないでしょう。しかし当時の指導者は米百俵を将来の千俵、万俵に増やすため学校を設立する資金として使用しました。その...
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「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳59 10章ー③もう一人の軍神、東郷平八郎の実像

 東海(日本海;訳者注)海戦勝利百周年に当たる2005年5月27日連合艦隊司令官だった東郷平八郎の旗艦、三笠の前で盛大な記念式が開かれた。東郷の孫である自衛艦隊司令部指揮通信計画幕僚である宏重は「歴史を大切に、ここはこのような行事が引き続...
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「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳58 10章―②軍神乃木希典の実像

 日本では日露戦争勝利百周年に当たり東海(日本海;訳者注)海戦を勝利に導いた東郷平八郎と明治天皇に殉じて自決した乃木希典(1849~1912)を歴史的な偉人として美化しようとする作業の最中だ。我々はこのような動きを赤提灯の内側で繰り広げら...
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「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳57 10章 赤提灯の壁           2つの武士道、武士道と葉隠れ

 天皇の責任を見逃してしまった戦後日本の土壌は「上の人が下の人に責任を転嫁するという」日本軍の狂信的武士道がその根だ。ヒロヒトは1975年9月、敗戦後初めてアメリカを訪問した時、自身の戦争責任について質問を受けて「私は文学的方面については...
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「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳56 9章―⑧日本の良心勢力は3%

 島根県議会が竹島の日を制定した問題で韓国言論は第2の韓国簒奪、韓国の光復を否定する行為だと連日特筆大書するころ、日本言論は竹島問題よりはライブドアという新興企業が日本放送とフジテレビに株式を買収するという騒動を集中報道していた。 ...
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