翻訳9(1章―⑦)《国家(ヌガラ);クリフォードギアツ》「劇場国家(Theatre State)」というのは「国家の機能が外来思想の演出表現に忠実なように政治秩序が形成されている国」だ。

翻訳

「劇場国家」日本

自衛隊発足50周年、日露戦争開戦100周年に当たる2004年1月、重武装の自衛隊がイラクに派遣された。
これは自衛隊が過去において、国際連合の旗のもと平和維持活動に参加した時とは根本的に性格が違う。
陸海空自衛隊がそろって日の丸を掲げて戦闘地域に出兵した初めてのケースだからだ。

富士山東方で訓練中の自衛隊

これと一緒に日本では憲法改正の動きが活発になっている。
全面改憲派、加憲派(部分改正派)、論憲派(憲法改正論の賛成派)、護憲派等が甲論乙駁(あれこれ議論してまとまらない)して、まだ主たる方向は決定された状態ではない。
しかし、自衛隊を正式軍隊として象徴天皇を国家元首として復元させようとする全面改正派が日ごとに勢力を拡大してきている。

したがって日本は切れない「戦犯国家」の足かせを外し、天皇を正式国家元首にし、自衛隊を正式軍隊にする「通常の国家」として転換する可能性が大きい。 
さらに、「非核3原則(核の保有、製造、搬入禁止)」という言葉はすでに影も形もなく消えて、最近は核武装をしなくてはならないという主張も活発に広がっている。
専守防衛原則(武力行使を禁止した現行憲法に立脚した防御にのみ専念するという原則)、武器輸出3原則(1967年4月佐藤内閣が決定した原則によって共産圏、国際連合決議に基づく武器輸出禁止国、国際紛争当事国に対する武器輸出禁止原則)も中身のないカンチョン(もち米の菓子)だ。

我々はこんな日本の変化にどう対処しなければならないか?
光速で変わっていく日本の終着駅を追跡するためには日本が国家としてどんな習性をもっているのかをまず把握しなければならない。
先ずこの命題ついて重要な手がかりを前京都大学教授矢野(が1982年に出版した本《劇場国家》の中に見つけることができる。

 19世紀バリ島の政治秩序に関する研究を本に著したクリフォードギアツの《国家(ヌガラ)》(1980、ヌガラはインドネシア語で国家を意味する)に従えば、「劇場国家(Theatre State)」というのは「国家の機能が外来思想の演出表現に忠実なように政治秩序が形成されている国」だ。
即ち自分たちのシナリオだけでは国家を一定に運営できない国だ。
そのような点で、劇場国家は「文明国家」の反対概念だ。
劇場国家には必ず「無法なことをする中枢」が存在する。
その無法な中枢にいるバリ島の王は、権力によって君臨するというよりも劇を上演する頻度、豊富な内容、巧妙な表現を利用して農民の忠誠を集める存在なのだ。

矢野はギアツのこの論を援用し、日本も天皇(無法の中枢)を頂点とする一劇場国家だと喝破した。
即ち日本史を大きく分ければ、韓国や中国の政治、文化を模倣して律令国家を演出した時期(第1期劇場国家時代)と明治維新と前後して西洋文明を模倣して近代化を演出した時期(第2期劇場国家時代)に区分できる。

特に天皇制が成立した古代日本は劇場国家の特徴が最も著しい時期だった。
太平洋戦争に敗北した後、日本は吉田茂(1878~1967)総理が掲げた「軽武装、経済大国第一」という旗印のもと、ただ米国を模倣して世界第2位の経済大国を建設することができた。
この時期が、「第3期劇場国家時代」だ。

《劇場国家》のこの論を借りれば、日本が現在経済的に沈滞期に近づいていることはもうこれ以上「模範となる中枢」即ち模倣する師匠が外国に存在しないためだ。
即ち韓国から中国へ(古代)、中国からポルトガルやオランダへ(中世)、ポルトガルやオランダから英国.フランス.ドイツへ(明治時代)、英国.フランス.ドイツから米国へ(敗戦後)、日本は模倣する師匠を順に変えて来たが、米国経済と肩を並べそうになるや突然、経済沈滞が始まったことは、そのような仮説を立証している。
米国を凌駕する新しい模範となる中枢が現れない限り、日本は経済的に再躍進が難しいということだ。

ギアツによれば、劇場国家は国家運営のシナリオを体験によって作り出すことができない国だ。

そのために、歴史上初めて日本自らが脚本、脚色、演出した「大東亜共栄圏構想」が破綻したのだ。

今の小泉政権がただ単にブッシュ政権だけに追随している「対米一辺倒」の外交戦略を展開していることも国家運営のシナリオを描き出せない証明だ。

 劇場国家の構成員、即ち国民は模範的中枢(王とか指導者)が国を演出する方向に従って動き、盲目的に忠誠を誓う。
言葉を変えれば、中枢が戦争劇を上演すれば戦争に熱狂し、恋愛劇を上演すれば恋愛に熱狂するやり方だ。
太平洋戦争の時、「一億総玉砕」という合言葉が広く知れ渡ったことが前者の例である。
また、韓国純愛ドラマ「冬のソナタ」が日本で放映されるや猛烈な「ヨン様ブーム」が起こったことが後者の例だ。

劇場国家概念を現在の日本に適用すれば、「ワイドショー国家」と呼べる。
今の日本のテレビは、俗に言う「ワイドショー」と呼ばれるプログラムを朝昼晩の時間帯に集中して放映している。
本来、芸能系の話題が中心であるが、韓流ブームが起こるや韓流コーナーまで登場した。
例えば、ある有名な芸能人が死んだとしよう。
そうすると、テレビでは朝から晩まで何日間もその芸能人の葬式の様子を繰り返し放映する。
まるで全国が国葬を執り行っている雰囲気である。こんなワイドショー番組が人気を引きずっているのは、劇場国家日本の独特の国民性のためだ。

日本は現在「平和憲法」という合言葉の下「平和国家」を演出している。
敗戦後、米占領軍が書いた「平和憲法」という字幕が日本のワイドショー画面に登場したためだ。
しかし、「安全保障理事会常任理事国」のようなまた違った字幕が登場すれば、現在の経済中心の「悪い株式会社」、即ち小日本主義を志向していた日本が再び政治、軍事中心の「大日本主義」の方向に変わるだろう。 
日本が今模索している「第4期劇場国家時代」の有力な合言葉は「普通の国家」だ。
「普通の国家」というのは、象徴天皇を国家元首とし、自衛隊ではなく正式軍隊を備える国であり、また、国際連合安全保障理事会常任理事国に進出する政治.軍事大国だ。
機会が来れば、核武装も辞さない国だ。
戦犯国家から普通の国家への転換速度が「新幹線の速度」でないとすれば「光の速度」で出現するだろう。

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