日本と日本人の壁
ワールドカップ共同開催以後韓日間の交流や親善が深くなっていることは否定できない事実だ。
韓国では日本の大衆文化が順次解放されて、「日流ブーム」が起こっている。日本でもドラマ「冬のソナタ」が放映されたことを契機に空前の「韓流ブーム」が起きている。
また、韓国と日本の政府は自由貿易協定(FTA)の締結のために努力している。
協定が締結されれば、韓国と日本は一つの経済圏として統合され、人や物の移動が今よりも何倍も増加するだろう。
読者の中には、筆者がこのような韓日間の交流、親善の雰囲気に冷水を浴びせる目的でこの本を執筆したと非難する人もいるだろう。
しかしもう一度振り返ってみよう。
歴史上、日本がわが国に接近した後に起こった出来事を。
日本は太平洋戦争で負けた後、ある面では弱者に転落した。
そのため彼らは強者の論理である本音コードを隠して、弱者の論理である建て前コード、例を挙げれば平和憲法で偽装しているのだ。
これは過去の歴史が証明している。
古代韓半島で、百済、高句麗、新羅など3国が隆盛しているときは日本が各種文化や文物を直輸入していた。
そうするうちに、隋や唐に直接使節を派遣し、唐に見習って律令国家体制を確立すると、韓半島の3国を藩国(未開の国)として見下し始めた。
遣隋使や遣唐使を派遣するたびに、単独航海ができずに百済や新羅の助けを受けてもの話だ。
豊臣秀吉死後、関ヶ原の戦いで勝利し、天下を平定した徳川家康(1542~1616)は、国交回復を要請する書簡を、対馬藩を通して朝鮮に送り、日本を訪問した松雲大師使命団に「私は豊臣の朝鮮出兵に反対したし、兵も一人も送っていないので、朝鮮の恨みを買う理由はない。」とし、朝鮮との和平を切実に熱望した。
捕虜として捕まった1390名を連れて、帰国した使命団の言葉を伝え聞いた朝廷は、日本に通信使(正確には回答兼刷環使)を派遣することを決定した。
以後約200年(1607~1811)にわたって朝鮮通信使が12回ほど、江戸をはじめとして日本各地を訪問して各種の先進文物伝えた。
徳川幕府は、この時、朝鮮通信使を歓待するために年間予算に匹敵する百万両を注いだ。
しかし、日本は西洋の文物を受け入れ、強者の座に上ると、態度を一変させた。
古代韓半島南部に植民地を置いたのは、いわゆる《日本書紀》[720年奈良時代に編纂された日本最古の正史。神話時代から持統天皇まで伝えられてきた神話、伝説、記録等を漢文で記述。全30巻]に記述された「任那日本府、4~6世紀ごろ韓半島南部地域に日本府を設置し支配したという」説を取り出して征韓論を主張し韓半島を強制的に占有しようとしたのではなかったか?
半面韓日歴史共同研究委員会は、最終報告書に「任那日本府説は、韓日学会研究者たちの間では、ほぼ認定されない学説」であると結論を結んでいる。
我々は古代から現代にいたるまで日本人たちの建て前コードを好意や友好として錯覚するという愚かな過ちを犯してきた。
もっと大きな失敗は彼らを弱者と錯覚したことだ。例えば、1617年、回答兼刷環使(3次朝鮮通信使)の副使として日本に行ってきた姜弘重は《東槎録》に「いとこ同士結婚し、義弟が兄嫁を娶る風習は禽獣のようで到底これを記録することはできない。」と書いている。
儒学者、姜弘重は日本をいとこ同士結婚する禽獣同様の国、即ち道徳的な弱者としてのみ見たために「日本はない」というように記録を残すしかなかった。
それから100年余り後、製述官シンユハン(申維翰󠄀)も同じ過ちを犯した。
もし姜弘重と申維翰󠄀が当時の日本を客観的に、冷静に観察できる開かれた目と心を持っていたならば、歴史は変わっていたかもしれないという考えを筆者は振り払い切れない。
戦後の韓日関係にも「翌年の法則」が作用してきた。
例えば、韓日基本条約を締結した佐藤栄作総理は次の年の1966年右派の圧力を受け入れて2月11日を建国記念日(戦争前の紀元節)として復活させた。
また、中日友好条約を締結した福田赳夫総理は次の年の1979年元号法を復活させた。
1984年チョンドゥファン(全斗煥)大統領を韓国大統領として初めて国賓資格で招待した中曽根康弘総理は次の年の1985年8月15日、総理として初めて靖国神社を公式参拝した。
1998年キムテジュン(金大中)大統領を招請し、「21世紀韓日新時代」を演出した小渕総理は1999年君が代法(国旗国歌法)を制定した。
朝日新聞の若宮啓文論説主幹は、このような「和解」と「愛国(日本側の立場)」の反復を「翌年の法則」と呼び、これが自民党政権の得意技だと指摘した。(朝日新聞、2006,3,27)
そのため、我々は花鳥風月を詠いながら、弱者のように建て前コードを装っているときの日本や日本人をもっと警戒心ければならない。
日本で起こっている韓流ブームも問い糾してみれば、日本女性が韓国の花鳥風月即ち韓国のドラマや歌を詠っていることになる。
これはどこまでも建て前現象だ。
深い内容も分からず、韓日新時代が到来するだろうと騒いでいる間にひどい目にあう。
最近日本で人気がでたベストセラーがある。
東京大学名誉教授(解剖学専攻)養老猛司が書いた《バカの壁》という本だ。
養老は北里大学薬学部の学生たちに英国BBCが制作した妊娠と出産のドキュメンタリーを見せた後、感想を聞いた。
女学生たちの大部分は「とても勉強になったし、新しい事実がたくさん分かった」と答えた半面、男子学生たちは「そんなことは保健の授業の時すでにすべて学んだ内容」だとし、生意気な反応を見せた。養老は男女の学生が正反対の返答をしたのは「与えられた情報に対する姿勢の問題」であると分析した。
即ち自分が知りたくない事実に対して自主的に情報を遮断するためにそのような正反対の現象が起こったというのだ。
養老はこのような分析を、元々「日本では何を知っているかということと獲得した知識が多いということが別個だという事実を区別できない人が大変多い。」と指摘しつつ、「熱心に誠意を見せて話せば通じることだと、あるいは分かってくれると錯覚している人が多いが、それは真っ赤な嘘だ。」と結論した。
即ち、大部分の人たちがお互いに話せば通じると錯覚しているがそれは真っ赤な嘘だというのだ。 よく韓国人と日本人は顔や生活習慣がなどに共通点が多いと人々は言う。
そのため、この二つの国の人たちは胸襟を開いて話し合えば、すぐ通じると錯覚する人が多い。
しかし日本人同士でも話が通じないのにどうやって韓国人と日本人が話し合えばすぐ通じるだろうか?
種々の論理を借りれば、日本人自身が知りたくない事実、即ち侵略の歴史や植民地加害の事実について自主的に情報を遮断するからだ。
過去の歴史をさておいて韓日間で何百回以上も話を分かち合ってきたが、結論がほとんどない事実がよい証拠だ。
養老は、さらに「話してもお互いに通じない現状の延長戦上に戦争、テロ、民族紛争、宗教紛争がある。」と指摘した。
韓日間に立ちふさがっている壁、即ち日本と日本人の壁の実態も知らずにぬけぬけと親日派を宣言する者たちこそ、養老が言う「典型的なバカ達」だ。
そんな点で韓日関係が良好ならば良好なほど、近づけば近づくほど、我々は申叔舟が530年前に残した「倭の動向を鋭意注視し、倭との友好関係を終わらせるな」という遺言をもう一度反芻してみなければならない。
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