「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳17 2章―⑦ 戦没者追悼の場なのか、軍国主義の象徴なのか

朝日新聞が2005年3月末に実施した世論調査によれば小泉総理の靖国参拝に賛成するのは54%、反対は28%だった。
しかし5月31日付新聞によれば、参拝中止が49%、参拝継続が39%で「中止」が「継続」を上回った。
韓国と中国の反対世論が各々92%と91%という点を考えれば靖国参拝を取り巻く韓中日の三国間の国民感情の離反は途方もない。

 小泉総理が靖国を公式参拝した後、集団で靖国を参拝する若い世代も急激に増えた。

時事週刊誌《アエラ》(2004、8,30)によれば、「韓国と中国がこうしろああしろということに腹が立って靖国を参拝する若者たち」がぐんと増えているというのだ。
神風特攻隊に息子をささげた遺族達、戦友たちの霊魂を褒め称えるために訪れる昔の日本軍出身よりも靖国に何の縁もない若者たちの姿が目に付くということだ。

 「嫌韓厨」という言葉は日本のウェブサイト「2ちゃんねる」(www.2ch.net)を利用して韓国を攻撃する若者の集団を指す新造語だ。
民俗学者、大月隆寛が月刊誌《正論》(2004年5月号)に書いた文によれば、「廚」はチュバン(韓国語で)即ち「厨房」の略語で中学生を呼称する「中坊」の「中」の発音を借りて来て、ネット上で「廚」に変えたのだ。

 大月によれば、嫌韓廚達は嫌韓、潮韓(弔韓か?)怒韓、笑韓、呆韓等の用語を駆使して、偽の壬申倭乱、独島領有権、過去史摩擦が起きる時、韓国に対して激しいインチキ攻撃を浴びせる集団だ。
このような「嫌韓廚」達の反対する攻撃を集大成したのが漫画《嫌韓流》に他ならない。

こんな嫌韓廚達こそ現代版「軍国少年」たちだ。
彼らは、極右漫画家小林よしのりのベストセラー漫画《戦争論》を繰り返し読んで、侵略戦争を美化する論理を学習した。
そのため、彼らにとって靖国神社は侵略と軍国主義の復活を象徴する、生きている聖殿も同様だ。憧れの対象だ。

 朝日新聞が東亜日報、中国社会科学院と合同で実施した世論調査(2005,4,27)でも、日本人のやく7割(66%)が靖国神社を「戦死者を追悼する場所」だと考えている。
軍国主義の象徴だと考えている人は1割に過ぎない。

半面、韓国人の61%と中国人の59%は靖国を軍国主義の象徴だと考えていて、時が過ぎ時代が変わっても、「靖国の壁」は、シミのように消えない障壁だ。

 小泉総理はいつも「不戦の決意新たに、念を押して平和を祈念するため靖国に参拝する。」と主張してきた。

逢沢一郎外務副大臣も中国との靖国摩擦が再び激しくなるや「仕方なく命をなくした人たちの冥福を祈り二度と再び戦争を起こしてはならないということを確かめる場所が靖国」だと主張した(フジテレビ、2005,5,22)

 不戦を誓うなら靖国でなくても場所はいくらでもある。
代表的な場は東京千代田区にある「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」だ。
この墓苑は身元の分からない約35万柱(はしら)の遺骨が奉納されている無名勇士の墓地だ。
軍国主義の象徴である靖国ではなく、ここで不戦を確かめれば韓国と中国が力を尽くして反対するわけがない。
小泉総理ではなくアキヒト天皇が参拝しても是非を論ずることはないだろう。
なぜかと言えば、彼らも日本の軍国主義の犠牲者だからだ。実際、小泉総理も毎年千鳥ヶ淵墓苑を訪れ献花をする。
しかし韓国と中国がこのことについて一度でも抗議したことがあるだろうか?

それでもなぜ靖国だけが不戦を確かめる場所なのか?
靖国に行きさえすれば不戦を誓うことができ平和を祈念することができるという主張と論理は日本人の本音と建て前が異なるという事実を雄弁に語ってくれる生きた参考書だ。

参考書はもっとある。
韓国と中国の反発を内政干渉だと言い張る態度が正にそれだ。
日本の政治家が韓国と中国の反発を内政干渉だと主張する背景には、日本政府が「戦犯」という用語を一切使わないという問題が関連している。
即ち日本政府はサンフランシスコ講和条約が発効されると戦犯として処刑された獄死した者たちを平和条約第11条関係者、法務官関係者、公務者と呼び、戦犯という用語をきれいに消し去ってしまった。
随って、彼らを追悼するとか、総理が靖国に参拝するとかいうことは日本の国内の問題即ち内政問題ということだ。

 しかし日本政府がサンフランシスコ講和条約を締結し極東国際軍事裁判の結果を受諾したことは厳然たる事実だ。
即ち「日本国は極東国際軍事裁判の下、国外その他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾する(accept the judgements).」(第11条)ということを国際条約において認めたことだ。
それでも戦犯問題が日本の内政問題だと最後まで言い張るのは自分たちが締結したすべての条約を自ら無視する行為だ。
参考に、右翼勢力は「judgements」を裁判ではなく判決と解釈して、日本が裁判全体を受諾したのではなく、判決を受諾しただけだと主張している。

日本が自ら受諾した国際条約が無効ならば、そこに対して言う事は多い。例えば、日韓歴史共同研究委員会の最終報告書で、日本側は純宗の親筆署名と大韓帝国の国璽が押されてない韓日合法条約を「道義的には不当だが、国際法上有効な条約」だと言い張った。
半面、日本の右翼勢力は連合国、即ち戦勝国のみが参加した極東国際軍事裁判は日本に同意も受けてなく、一方的に開かれたものであるから国際法上無効だとしている。
そうならば、高宗と純宗の同意も受け入れず一方的に締結した乙巳の保護条約と韓日合法条約はどうして有効な条約なのか?

 また。48カ国が参加したサンフランシスコ講和条約、特に第11条の「極東国際軍事裁判を承諾した。」という条項に明らかにはんこうを押しているのに、「日本に戦犯はいない。」と主張した。
もっと出すと、同じ条約で「クリル(千島)列島とその周辺の島々についてはすべて権利と請求権を放棄する。」という条項を受諾しても、千島列島のいわゆる「北方領土」四島を返還しろとロシアに要求している。

 話が出たので話そう、「朝鮮人の総意として日本を選択したこと」(石原慎太郎、2003、10,28発言)であるならば、米軍の日本占領も「日本人の総意として米軍を選択した」わけだ。
小泉総理がブッシュの前で米占領軍を「解放軍」と呼んだとかいう話だ。ヒロヒトも講和条約が発表された翌年、即ち日本が独立した翌年である1953年4月ロバートマーフィー在日アメリカ大使に「米軍が日本に引き続き駐屯しなければならない。」と言い、占領軍が継続してとどまることを嘆願したという。(朝日新聞、2005、6,1)。

また、「韓日併合は円満に締結した。」(渡辺美智雄副総理兼外相、1995、6.3発言)と言えば、「極東軍事裁判の裁判も円満に進行し、サンフランシスコ講和条約も円満に締結されたこと」である。

大韓帝国が外交権をはく奪されて統監部の統治を受けていた時期の条約は円満に締結されたものであり、自分たちが占領された時進められた裁判と締結された条約は強制的にそうなったことだと言うなら、小さな子供でも笑うことだ。

 一言で、日本の論理は自分たちが強者であるとき強要した条約は有効で、自分たちが弱者であるとき強要された条約は無効という鉄面皮な論理だ。
20世紀の論理からいまだに脱皮できないこのような日本と、我々は21世紀にも生きて行かねばならない。
21世紀の同伴者と云々し親日派を自任するのもいいが、本音と建て前、即ち日本の二重性をきちんと知ってそう言おう。

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