「短刀と弓」 蔡明錫 著 2006年出版 未来M&B
上の写真は「短刀と弓」の表紙です。
副題として「知韓と嫌韓の間」(左の赤字)とあります。そして、「知韓と嫌韓の間を行き来してきた日韓関係1300年の宿命的な歴史をもう一度考える。」と記されています。
この本の題名は、朝鮮半島を「短刀」に、日本列島を「弓」に見立てています。
地図を思い浮かべてみてください。どうです?
形状がちょうど短刀と弓の様ではありませんか?
この本を読むにあたって、このことをしっかり頭に入れておいてください。
日韓関係が短刀と弓の関係?
ちょっと物騒ですね。何しろ日韓関係は複雑で難しい問題を抱えていますから。
でも、最後まで読めば物騒な話ではないことが分かると思います。
「いくら気まずくても、友人同士のように絶交したり、仲の悪い隣家同士のように転居したりすることはできない日韓両国。それなら理解を深めてよりよい関係を気付くことに努力しなくては」(「短刀と弓」より)というのが著者の思いだからです。
そして私も著者の思いに共感しています。
なぜなら著者は40年連れ添ってきた夫だからです。
共に生活する中で、夫が祖国韓国に対して、また日本に対してどんな思いを抱いているかを感じてきたからです。
その思いを自分自身で日本の皆さんに伝えたかったのですが、残念なことに2019年に夫は亡くなりました。
私の韓国語の実力では荷が勝ちすぎるのですが、生前夫に約束したことを何とか果たそうと考えて、この2年間翻訳に取り組んできました。
この本の主張は歯に衣着せぬ辛口の論調です。韓国向けに韓国人が語る正直な思いです。夫は生粋の韓国人ですから。
翻訳しながら、耳が痛いことや〈それは違うでしょう〉と感じる箇所も多々ありました。
しかし、恐れず勇気をもって翻訳を公開します。
どうか賢明な理解を示して読んでいただければと思います。
「短刀と弓」の翻訳をブログで読んでくださる方々が韓国・韓国人について理解してくださり、より良い日韓関係が少しでも進展してほしいというのが私の願い(소원)です
著者紹介
蔡 明錫
1949年光州市に生まれ、光州西中、光州一高を経て全南大学商科大学貿易学科を卒業。
1979年2か月間日本で研修を積んだ際、大きな文化的衝撃を受けて日本に留学することを決心。
1981年慶応大学大学院に入学し修士学位を取得。
博士課程(国際経済学)を終了。
以後、時事ジャーナル東京駐在編集員として10年余り活動。
現在(2006年;訳者注)「自由アジア放送(Radio Free Asia)」の東京リポーター
序文 なぜ今短刀と弓なのか
韓国人にとって日本、日本人は歴史的に加害者とされてきた。しかし、むしろ日本人は白村江の戦いの敗北(663年)以後1300余年間、韓半島が日本列島の脇腹をねらう短刀だという被害妄想にとらわれていた。
例えば問題の扶桑社版歴史教科書も「朝鮮半島は日本列島に対して絶え間なく突き出された凶器となる位置関係であった。」と扇動しているではないか。
彼らが弱者であるうちは専守防衛を云々したとしても、韓流ブームを通して韓半島と大陸の文物を受け入れ、強者に転じれば、利益戦、生命戦、主権争い等、あらゆる大義名分を動員して韓半島に対する前陣防御、即ち先制攻撃を敢行してきた。
新羅への救援兵、派兵、倭寇の動き、壬申倭乱・丁酉の乱(豊臣秀吉の朝鮮出兵;訳者注)、日清戦争、植民統治…。最近の北韓に対する先制攻撃論も同じ状況から生まれている。
結局、韓半島と東アジアに向いて日本は弓のように曲がった日本列島の形状が語っているように弓と矢のような存在なのだろう。
日本、日本人の韓半島恐怖症をきちんと分かってこそ日本列島から飛んでくるかもしれない「3番目の矢」を避けることができるだろう。
日本は今平和憲法の足かせを外し、天皇を正式な国家元首として、自衛隊を正式に軍隊とする「第4期劇場国家」に転換するため、全力を傾けているのだ。
第4期劇場国家のキーワードは政治、軍事大国を意味する「普通の国家」だ。
日本の政治も「本音の政治」即ち「強者の政治」へと変換しつつある。
韓国や中国の反対にもかかわらず小泉総理が靖国神社参拝を敢行していることがいい例だ。
周辺国の思惑を見ていきながら過去のことを謝罪するふりをする「建前政治」即ち「弱者の政治」を全面否定しようとする集団が正に日本の新保守主義と呼ばれる「世襲政治家」達だ。
あるいは、脱亜論の忠実な継承者、縮毛の変人総理、小泉が退陣すれば韓日関係が再び未来志向的な関係になることが期待されるかもしれない。
しかし、「ポスト小泉」の有力な候補者たちである安倍晋三、麻生太郎、谷垣禎一などはすべて世襲政治家であり、脱亜論信奉者達であるという事実を考えればとんでもない話だ。
我々が今後直面する状況は、「他人(韓国、中国)があれやこれや言うのを聞くふりをする「建前政治」ではなく、日本の政治、軍事、経済力に相応しいパワーを誇示する「本音の政治」でしかない。
日本の根源的な地殻変動を感知できないまま日本の良心的な勢力と手を結んで韓日関係を解きほぐしていくという韓国政府の対日政策は一言で言って机上の空論に過ぎない。
日本、日本人の本音、即ち内情を全く知らないために「日帝の植民統治は祝福だった」というある元大学教授や、日本を頻繁に見ているという親日家を宣言するある大衆歌手のような「短期の陽気な親日家」達が多数出て来ている。
日本の急激な変化に対処するためには、我々はもっと日本を体系的に理解しなければならない。そこで筆者は、「あいまいさ(曖昧模糊)」「本音と建て前」「劇場国家」という3つのキーワードを使って、「日本」という国の名(国号)や天皇制、神国思想が形成されてきた1300年前から今に至るまでの日本と日本人を多角的に分析していく。
そうしてこそ近世以降3回以上繰り返してきた「日本はある。ない。」というためにならない論戦に終止符を打つことができるし、冬ソナ(キョウルヨンガ)の春が日韓の新しい時代を開いてくれるという錯覚を正すことができるのだ。
また、「日本はアジアではない」という新しい脱亜論の意味を推測することができるだろう。
筆者は、当初「短刀と弓」の章は除外しようとしたが、独島に関する挑戦や北韓先制攻撃、日本の新保守主義の登場など最近の事態を見守ってきて、韓日間の衝突シナリオが現実のものとなる可能性が高くなっていると考え、再度取り上げた。
特に日本のクーデターの発生を指摘した部分について「今のような平和な時になぜクーデターなのか」と反問する読者も多いだろう。しかし日本の歴史はクーデターの歴史だといっても過言ではない。
敗戦後も三無事件(1961年に起きたクーデター未遂事件;訳者注)、三島由紀夫割腹事件、文芸春秋のクーデター試案公開事件など、数回クーデターの企てがあったと知れば、核兵器のようにクーデターも時間の問題だと理解できる。
太平洋戦争前と同じような軍事独裁政権が登場すれば、韓日間の衝突も時間の問題だ。そんな例として、この本は「衝突の道」という節を別に用意し、日本自衛隊の独島武力侵攻と統一韓国対普通の国家日本の衝突の可能性を占ってみた。
このような動きを主導する勢力は正に日本の知韓派勢力だ。知韓派勢力が韓半島の侵略と植民統治にどんな役割を演じてきて、その後裔達が今どんな役割をしているかを分析することもこの本の重要な課題である。
各章を読んでみれば日本の小、中、高等学校の歴史教科書に登場する歴史上の偉人たちの大部分が征韓論の旗手として韓半島を苦痛に陥れる主役であったし、日本の歴史歪曲体質は未来進行形であるという事実に直面するだろう。
例えば、古代日本の名君として知られている聖徳太子が実は実在が疑われる人物という事実、
朝鮮の書籍を通して漢学を学び、出世するや手の平を返すように朝鮮を軽んじ始めた江戸中期の儒学者新井白石の狡知に長けた一生、
江戸末期の歴史的偉人として尊敬されている松下村塾の主催者吉田松陰が実は韓国併合を主導した伊藤博文、山形有朋、寺内正毅達を育て、独島簒奪を初めて提起した人物という事実、
安重根義士(独立運動家、韓国の英雄、伊藤博文を暗殺;訳者注)をテロリストとして非難しながら、伊藤博文が若い時は熱烈なテロリストだったという事実を秘している日本の歴史家たち、
脱亜論を主唱する福沢諭吉は朝鮮の理解者ではなく、朝鮮の簒奪者だったという事実、
軍神として歴史教科書に復活した乃木希典と東郷平八郎、
そして戦後に登場した「知韓家」黒田勝弘(産経新聞ソウル支局長)のような人物達の実情に触れてみよう。
小泉純一郎、安倍晋三のような「世襲政治家」達もこの本の重要な分析対象だ。彼らがどんな家柄に生まれ、どのように成長し、靖国神社と一体どんな縁が結ばれて、参拝に執着するのかこの本を通して、明らかにするつもりだ。
筆者の日本生活は現在25年目に入る。日本探求の経歴を問われれば、まだ25歳の青年の目に過ぎない。
8年間の学究生活と17年間の言論人としての生活を通して日本と日本人の外面と内面があまりにも異なることを切実に痛感した。
しかし主観的な印象や体験は可能な限り排除し、「日本人自らが語る日本」即ち日本の各種文献、記事、論説を活用した客観的な叙述に重点を置くよう努めた。
筆者は反日運動家でもないし、親日家でもない。あえて言えば、日本をまっすぐに正視しようとする熟日派だ。
そんな点でこの本が短期の陽性親日家たちにとっては警鐘の書として、一般読者にとっては日本をもっと理解できる手引き書として活用されれば、この上なく光栄なことである。
最後に、この本の出版に道しるべとなってくれた未来M&Bのチャイクチョン企画室長、イスエ編集部長、チョンチョンイ代理に限りない感謝の言葉を送ります。
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