「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳25 4章ー②白村江の戦いと太平洋戦争 

 聖徳太子虚構説は前出のように谷沢が初めて提議したのではない。
さて、実際に「聖徳太子が存在しなかったら」歴史教科書を全部新しく書き直さねばならない大事件だ。

 谷沢が言う「断章趣意の手法」を考えれば、歴史歪曲の出発点は《古事記》と《日本書紀》を編纂した時代にさかのぼることができる。
《古事記》の編纂担当者であり《日本書紀》の編纂にも関与した事で知られた太安万侶(?~723)が百済系という事実は定説中の定説だ。
百済系である安万侶が新羅に対する敗北意識をパラパラと払い落として、祖国との固い絆と痕跡がなかったようにするために隠すのを歪曲して編纂したのだろうことは想像して余りある。
バンダイおもちゃ会社の前社長山科誠も右翼から受けた脅迫をものともせず、「《日本書紀》は(アメリカがイギリスから独立した時と同様の)独立宣言書だった。」と主張したのではなかったか?

 日本人の歴史歪曲体質は建て前と本音という二面的な国民性とも密接な関連がある。
《建て前と本音》の著者、増原良彦によれば「建前と本音という言葉がしばしば話題に上るのは、第二次世界大戦以後」だ。
なぜならば1932年から1937年の間に刊行された《大言海》という辞典にも建て前と言う項目はないからだ。
また《日本国語大辞典》には江戸時代に使われた建て前使用例が出てくるが、原則とか方針として説明しているだけだ。
そのため建て前と本音を1セットとして使用されるようになったのは敗戦以後だと考えればいいと断定した。

 そうしながら増原は「日本人は敗戦によって国家の崩壊を経験した。無条件降伏は国家に対する全面否定だ。
国家が必須として備えなければならない暴力装置(軍隊)までも悪として判断され、不必要なもので恥部とされた。
そんな衝撃で日本人の思考は根本的にぱっと裏返されたのだ。
国家が国民に教えるイデオロギーや国家が国民に下す命令はすべてのことが疑わしいという感情が大衆の間に根を下ろすようになったのだ。
そのために集団に属する個々の構成員が集団とは別個に自分の本音を持つ権利があるかのように考えるようになった。」と説明した。

増原の説明を一言にして言えば「敗戦の衝撃で日本のパラダイム(ある一つの時代の人々の考え方を根本的に支える概念;訳者注)が根本的に裏返されて建て前と本音を区分して使う国民性が際立ってきた。」と言うのだ。
敗戦の衝撃で建て前と本音を区分して使う国民性が流行したのなら、日本と日本人の特性である本音と建て前、曖昧模糊、劇場国家の起源は白村江(錦江河口、現在の郡山付近)の敗北まで遡るというのが筆者の見解だ。

 よく知られている通り倭は宗主国百済の救援要請を受けて662年軍船400隻に2万7000名の兵を乗せて百済に送った。
百済の流民と倭の連合軍は663年、錦江河口の白村江で新羅、唐連合軍と2日間にわたって激烈な闘いに着手したが、全滅に近い敗北となり撤収した。

 この敗戦の衝撃が古代日本のパラダイムを根本的に裏返す作業の契機になった。
即ち倭国は新羅と唐の侵入を警戒して対馬と九州に城を構築して辺境警備隊を設置した。
専守防衛の始まりだ。
それだけではなく、都を移転し国号も日本に変更した。
独立宣言書である《古事記》と《日本書紀》も編纂した。

 敗戦の衝撃を払い落とすために記紀が歴史を歪曲した例は神功皇后の新羅征伐や任那日本府の記録を挙げることができる。
7世紀中葉に白村江の戦いで全滅した程度の弱い倭軍がどうやって3世紀中葉に新羅を征伐でき、4~6世紀ごろ韓半島南部に属領を置くことができたのだろうか?

 白村江の敗戦以後古代日本のパラダイムが急変した過程は第2次世界大戦で敗北した後日本のパラダイムが変化した過程と非常に類似している。古代日本(正確に言えば倭国)は白村江の戦で敗北すると国号を日本に、君主の称号を大王から天皇に変えた。
そして戦勝国である唐の制度を導入して律令国家体制を整備した。

 現代の日本は太平洋戦争で負けた後首都と国号は変えなかったが、平和憲法を制定し、天皇の地位を象徴的な存在に変える大変革を断行した。
古代日本が白村江で敗北した後、対馬と九州に城を築き専守防衛を開始したように、現代日本も戦力の不保有を宣言し、専守防衛原則を標榜した。戦勝国唐の制度を模倣して律令国家を建設したように、今度も戦勝国アメリカの制度を模倣して経済大国を建設した。

過去史を歪曲するという風潮も似ている。
記紀を編纂した目的が白村江の戦いの敗北以前の過去史を捏造しようということだとしたら、戦後日本の右翼も太平洋戦争と侵略の歴史を歪曲するために、今盛んに暴れている。

 こうしてみると、白村江の敗北後1300年後に当たる歴史的敗戦で本音と建て前を区別する国民性が出てきたことは歴史の偶然ではなく歴史の必然だ。

 重ねて付け加えるが、本音を隠して建て前として作成した文献が即ち《古事記》と《日本書紀》だ。
二重帳簿のような歴史記録だ。そうなら、読者も日本人の歴史歪曲体質が古代日本から始まり、建て前と本音を区分して使う国民性、そこに由来する曖昧性、劇場国家の特性も、その時生まれたのだという筆者の主張に共感できるだろう。

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