「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳26 4章―③日本の歴史歪曲体質は現在進行形

 谷沢の指摘のように日本の歴史歪曲は断章趣意の手法が横行してきた。 8世紀初めの《日本書紀》と《古事記》の歪曲編纂、19世紀後半の七支刀銘文の毀損[全体の長さが75cmで7個の刃(6個の枝刃と本体の先の刃で7個?訳者注)がある七支刀は奈良県天理市石上神宮に所蔵されている。
《日本書紀》によれば3世紀中盤百済クンチョコ王の王世子が神功皇后に捧げたという。
しかし石上神宮が所蔵している剣の銘文には4世紀後半百済で作られたと記録されていて、19世紀後半神宮の宮司が鋭利な道具で損傷したという説が有力だ] 
それと19世紀末の広開土王碑文捏造等が典型的な例だ。

 日本の断章趣意的な歴史歪曲作業は今も綿密に続いている。
2000年11月15日毎日新聞は「旧石器発掘捏造」という大きな見出しで一連の旧石器発掘が捏造だったという事実を一面トップで報道した。報道を要約すれば、旧石器時代の遺跡発掘に輝かしい功績を挙げて「旧石器のスター」と呼ばれた東北旧石器文化研究所の藤村新一副理事長が遺跡発掘を捏造した現場のビデオカメラ撮影に成功した。   

 新聞は藤村の業績が疑わしいという情報を受けて6か月前から特別取材班を編成して彼の一挙手一投足を監視してきた。
新聞が決定的な瞬間をとらえたのは上高森遺跡第6次発掘調査が進んでいた10月22日明け方だった。
この遺跡は藤村副理事長らが1992年に発見した所で、東北福祉大学考古学研究会と協力して1993年から本格的に発掘を開始した。
そして、1995年には約40万年前の地中から形石器(ナイフ形石器のことか?;訳者注)等を発見したと発表した。
また、1998年には60万年前の地中から石器を発見したと発表した。

毎日新聞は調査団長を引き受けていた藤村が10月22日明け方、暗闇に乗じて現れ、遺跡発掘現場6か所にポケットから取り出した石を埋めて、足で踏む瞬間をビデオカメラで撮影し成功した。
藤村はそんな事も知らずに10月27日記者会見を開き約60万年前の原人が暮らしていたと推測される穴と石器を規則的に配列した遺跡11個と70万年前のものを含む石器31点を発見したと自慢気に発表した。

 毎日新聞の取材班がこの石器を確認してみた結果、藤村が22日明け方埋めた石が含まれていた事実が分かった。
そこで、藤村にビデオテープを提示すると、上高森遺跡は勿論9月に北海道の総進不動坂遺跡で発掘された石器29点も全部自分が埋めたと事実を認めた。

捏造ショックが日ごとに拡大するや日本考古学会が藤村に直接会って確認した結果、彼は42か所の遺跡発掘現場で捏造行為を繰り返してきた事実が明らかにされた。
しかし藤村が186か所の遺跡発掘に参加した事実を考えると、発掘を捏造した遺跡現場が42か所よりはるかに多いだろうというのが多くの人の意見だ。

 考古学者によれば日本列島の地中は火山灰が幾層にも重なった酸性土壌で覆われていて、数万年前以上の骨、穀物殻は勿論、土器、木製品等は腐って残っていないということが定説だ。
そのため全国に分布している50余か所の遺跡中旧石器時代の遺跡は全体の1%に過ぎず、出土した旧石器も後期時代(1万~3万年前)に集中している。

 また、旧石器時代に関する研究が本格的に始まったのは1949年群馬県岩宿遺跡で旧石器時代の遺物が発見された以後からだ。
この発見がある前でさえ縄文時代(新石器時代が始まった紀元前1万年前から紀元前4世紀ごろ)以前、即ち旧石器時代の日本列島には人間が住んでいなかったということが考古学会の定説だった。

 高等学校日本史教科書である《詳説日本史》2004年版(出川出版社)にも「日本で発見された化石人骨は静岡県の浜北人、沖縄県の港川人などがあるが、すべて新人(新石器時代以後即ち1万年前 前後に登場した現代型ホモサピエンス)段階のものだ。
1931年に兵庫県明石で発見された明石人を原人(ホモエレトス、現生人類の祖先で約160万年前に出現)として見る説もあったが、最近の研究で新石器時代以後の新人であることが判明した。」と記述されている。

また、氷河期が終わって海面が上昇し大陸と分離した現在の日本列島が生成されたのは1万年前に過ぎないということはすべての歴史、地理教科書に記載されている厳然たる事実だ。
しかし、藤村が遺跡発掘を順番に捏造した材料に限って、旧石器時代が10万年単位でさかのぼって終わる60万年前の偽遺跡が発見されたことにたどり着く。
例えば、藤村は上高森遺跡発掘の時、約60万年前の地中から石器を意識的に配列した世界で最も古い遺跡11個を発見したと発表した。

 この発表はどんな考古学的検証も触れないまま、高等学校歴史教科書6冊にそのまま載せられた。
日本の高校生たちは「上高森遺跡は60万年以上前の旧石器時代の遺跡が発見された場所だ」と必死に暗記しなければならなかった。
大学入学試験で当時これと関連した問題が出題されたためだ。

 しかし、考古学的常識で見れば60万年以上前の日本列島に原人が住んでいて、35万年前の墓が発見されたという発表はとんでもない主張だ。
例えば、160万年前から20万年前に地球に存在していた原人は死という概念を理解できなかった。
墓はまだ発表されたことがない。
一番古い埋葬の痕跡はイラクのシャニダール遺跡で発見されたもので、そこに埋葬された人類はネアンデルタール人(旧人、古代系ホモサピエンス、13万年前~1万年前)だった。

 しかし、藤村は秩父長尾根遺跡の地中(約35万年前)で楕円形の洞窟を発見し、石器が副葬品と一緒に埋まってあったとみて、原人の墓である可能性があると主張した。
彼はまた北海道下美蔓西(しもびまんにし)遺跡で北京原人と同じ年代である50万年前の地中から石器を発見したと主張した。

 彼の主張が事実ならば日本列島には中国と同じ時期に原人が住んでいたという話だ。
しかし、原人は周囲が過酷な所では住めないという事が世界考古学会の定説だ
即ち北緯40度から発見された北京原人が地球の最北端で住んでいた原人だと主張されていた。
それでも藤村は北緯43度の北海道下美蔓西遺跡で石器を発見したと発表し、言論と考古学会はいかなる検証もなくこれを受け入れて歓呼した。

 例を挙げれば、ある高等学校歴史教科書は「北京原人と同じ原人段階の人類がアジア大陸から日本へ渡ってきたことは約50万年前の旧石器時代遺跡が東北地方で発見されたことを見ると、疑う余地がない。」と堂々と記述した。
もし、藤村の遺跡捏造がもっと後に露見したのなら、歴史教科書で「原人は勿論、猿人(もっとも古い化石人類、400万年前~150万年前に生存したと推定)の発祥地、即ち人類の発祥地も日本列島だった。」という記述さえ登場したかもしれない。
参考に、猿人の化石はアフリカでのみ発見されているために人類の発祥地はアフリカと主張されている。

どうしてこんないい加減な捏造を実現できたのか。
こんな詐欺まがいの劇がいかなる考古学的検証なくどうして高等学校歴史教科書に堂々と乗せられたのか?

 事実一連の捏造劇張本人である藤村は考古学と全く関係ない門外漢だった。
毎日新聞の報道によれば藤村は仙台市の高等学校を出て、電機会社に就職したが、古代史ブームが起こって独学で古代史を勉強した。
1972年から本格的に発掘調査に参加した彼は1981年、宮城県座散乱木(ざざらぎ;訳者注)遺跡から当時の最古の記録を、1万年以上更新した約4万6千年前の石器を発見したことが契機となって、一躍「旧石器時代のスター」として浮かび上がった。
彼が「日本に前期石器時代があったのかなかったのか?」という長い論争に終止符を打つ(偽物)証拠を提供したためだ。

 名前を聞くと大げさに聞こえるが、実は東北旧石器文化研究所も彼が本格的に発掘調査活動を広げるために知人と設立した有名無実の研究所に過ぎない。
藤村たちは研究所を運用する資金を準備しようとてんてこ舞いで、遺跡捏造の方法を考え出した。
継続して遺跡発掘実績を挙げれば研究所運営に必要な資金を地方自治体と関係機関から支援を受けることができるからだ。

 そうならば、一人のアマチュア研究者である藤村の捏造行為をなぜ考古学者たちは見抜くことができなかったのだろう?
言論報道によれば、まず日本には旧石器時代の遺跡や遺物が少なく、この時代を研究する学者がごく少数だ。
また、旧石器時代研究の一人者が「地中は、形状に優先する」と主張したために、60万年あるいは70万年前の地中で発見された石器の形状を検証しただけで人類学等他の分野の検証をせず、出土した地中だけで年代を主張したという過ちを犯したということだ。

 しかし、世界考古学会の常識は必ず出土した石器の放射線量を測定して年代を測定することが鉄則だ。
しかし、日本の専門家たちはこのような電子スピン共鳴法は石器に火を使用した痕跡があるときだけ利用することができ、火山噴火による場合には測定誤差が数十万年に広がることもあると弁明した。
藤村が石器年代を測定する方法の盲点を知っていたために一連の捏造ができたという弁明だ。

そんな弁明が学問の世界で通じるわけがない。藤村の遺跡発掘捏造を傍観して助長し、大喜びさえした日本の考古学会は、今や世界の考古学会の嘲弄の種だ。
「大豆でみそを作っても」即ち、日本でどんな考古学的発見をしても信じないという嘲笑を買う種をまいたものが、当然刈り取る責任がある。 

 旧石器時代の遺跡発掘捏造事件は日本人の歴史を歪曲し捏造しようとする行為がどんなに体質的であるかを知らせる良い例だ。
《日本書紀》と《古事記》編纂で出発した日本人の歴史歪曲体質は侵略の歴史を美化しようとする歴史教科書歪曲にとどまらず、先史時代を捏造しようとする段階まで来ているのだ。

 2005年4月5日文部科学省の検定を通過した《新しい歴史教科書》は右翼団体である新しい歴史教科書をつくる会が内容を記述してフジサンケイグループの系列出版社、扶桑社が出版した中学校歴史教科書だ。

 町村信孝外相(当時)は日中外相会談を終えた後、2005年4月24日のテレビ番組に出演し「中国のリチャオシン外務長官が問題の教科書を読んでもいないという印象であった。」と強調した。
そうして韓国のバンキムン外交通商部長官は「相当に内容を把握しているようだった」と付け加えた。

 このような反論(新しい歴史教科書)を押さえつけるには我々も歴史教科書内容をある程度知っていなければならない。
ただ、問題の教科書の内容をすべて紹介することはできないので、ここでは朝日新聞の社説(「こんな教科書でいいのか」、2005,4,6)が指摘したに問題点だけを列挙してみよう。

 まず朝日新聞は「以前は日本武尊(古代伝説上の英雄)の神話に2ページ割愛したが、今度は削除されて、特攻隊員の遺書も生き返った。
全文を失った教育勅語も一部を要約して掲載した。」とし、4年前と比べて改善された点を紹介した。
しかし、「実在する人物とはわからない神武天皇(伝説上の初代天皇)の東征を1ページかけて紹介している。」とし、この教科書の天皇重視姿勢を批判した。

扶桑社版「新しい歴史教科書」表紙

 進む光と闇が交差する近現代史を日本に有利に解釈する歴史観が貫徹されていることが一番大きい問題点だと指摘した。
この例として「アジア人たちを発奮させた日本の行動」、「日本を解放軍として迎えたインドネシア人たち」という項目が新しく登場するとともに日本が占領した地域代表者を呼び集めた大東亜会議を具体的に説明している点を挙げた。

朝日新聞は中国侵略、朝鮮の植民地支配については記述が後退したと指摘するとともに、沖縄戦(太平洋戦争末期アメリカ軍と日本軍との戦いの時、住民20万名が犠牲になった)を記述しているが、ひめゆり部隊の集団自決などの悲劇については一言も言及していないと非難した。

 朝日新聞によれば、この教科書は文部科学省の検定時、近代以後近隣諸国との関係を中心に検定見解が提議され124か所ほど歴史叙述が修正された。
代表的な例は「満州国は関東軍だけではなく現地政治家も参与して建国された。」、「朝鮮併合の時、一部で併合を受容する声もあった。」等だ。

 そうして朝日新聞は「『新しい歴史教科書をつくる会』の教科書は均衡を欠いている。4年前朝日新聞はこの教科書を教室で使用することには不適合だと主張した。今回も同じことを言うしかない。」と締めくくった。

 新しい歴史教科書をつくる会は従軍慰安婦についての内容を中学校歴史教科書に載せるのを食い止めるために組織された右翼団体だ。
この会は従軍慰安婦記述削除運動を展開しているが、それにとどまらず、直接歴史教科書を出版すると宣言した。
1980年代中頃にも「日本を守る国民会議」と言う右翼団体が高等学校歴史教科書である《新編日本史》を出版したことがあった。
しかし現在公立校等学校19校(部数で計算すれば2700部)が採択しているだけだ。
新しい歴史教科書をつくる会は敗北を教訓として初めから全体教科書市場の1割を占有するという目標を立てて総攻勢を繰り広げた。
その結果は2001年に公立学校での採択がゼロという惨憺たる敗北で終わった。

 この会は4年ごとに回ってくる教科書採択の年である2005年を雪辱の年と定め、日本の386世代(一般に1980年代に民主化運動にかかわった1960年代生まれの者を指す。訳者注)に該当する八木秀次高崎大学助教授を会長に推戴して総攻勢を繰り広げた。
新しい歴史教科書をつくる会は2006年に内紛が起こり、八木会長、藤岡信勝副会長が解任され新会長に種子島経(たねがしまおさむ;訳者注)を選出した。
種子島は初代会長西尾幹二の側近として知られている。
文部科学省の集計によれば扶桑社版中学校歴史教科書の採択率は2005年0.4%(公民教科書は0.2%)に達した。
これは4年前の採択率0,047パーセントに比べ10倍に伸びた数字だが、新しい歴史教科書をつくる会の目標として一採択10%に比べては法外に不振な実績だ。

 一個の民間団体である新しい歴史教科書をつくる会がこのように教科書市場でのさばっているのはどんな理由からなのだろう?
一言で、自民党右派が背後で操縦しているためだ。
特に自民党の「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(会員数約100名)がこれらとスクラムを組んで」扶桑社版歴史教科書普及に全力を傾けている。

 自民党右派の共通点は2世3世議員という点だ。この2世3世議員たちが自民党の中枢勢力の席を占めている限り日本の歴史歪曲体質も限りなく受け継がれているのだ。

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