関川が「日本はアジアではないと考える」というと、いわゆる東亜大学学長である人が「文明論的に見て日本はアジアではない。」と相槌を打っている場面でも筆者は開いた口が塞がらなかった。
新しい歴史の会の前会長西尾幹二も《国民の歴史》で次のような詭弁を弄した。
「日本文化は東洋と西洋という二大文化が対立する中の東洋文化の一翼ではない。東西洋を合わせたユーラシア大陸の文化全体と日本の文化が相互対峙しているのだ。」
彼はまた「この列島は言語的、人種的に太平洋に向いており、今から1600年から1700年前に文字即ち漢字の使用に限って中国大陸とつながった。
大陸とは歴史が浅い関係をもった別個の文明だ。」と主張した。
もう一度言えば、日本は漢字を導入するためにしばし大陸と交流しただけだということだ。
日本はずっと大陸に背を向け、太平洋を望んで居座り西洋文明が渡ってくるのを長い間耐えて待っていた。
そうした所、15,16世紀ごろ西洋文明が太平洋を越えて来ると「まさにこれが我々の待っていた文明」だと言って快哉を叫んだのだろう。
しかし西尾よ、あなたの国をもう一度よく見てごらん。
日本列島が背を曲げている方向は大陸ではなく太平洋の方だ。太平洋に背を向け、我々と中国大陸の方から文物を受け入れてきたための姿勢をとっている。
そのために今日本列島が韓流ブームに大騒ぎしているのではないか?
筆者は関川のように「日本はアジアではない」というたわごとをいう日本人に数限りなく言い返してきた。
我々との断絶は日本古代との断絶を意味するということも知らないないのかと。
古代天皇は勿論、数多くの渡来人がわが国から各種文化や技術をもって日本列島にわたって来て、「倭」と「日本」という国を建国したということは日本の小さな子供でも知っている事実だ。
今も韓国、中国との断絶を叫んでいる関川、山崎、西尾は文を書いて生計を立てている職業人だ。
もし彼らが日本固有の文字であるひらがなカタカナで文を書けば、結局小学生水準の文章になるだろう。
「漢字を併用しなければ、文章の味わいは出ない。」という人たちが先頭に立って韓国、中国との断絶を叫んでいるのだ。
西尾は《国民の歴史》で「日本語は中国語とは遠い親類語とも違う。
日本語は中国文字の一文字の名前を排除し、訓読を導入し2種類の仮名文字を混在させ、自由自在な表記法として漢字、漢文よりも機能が優れており、より進歩した文字文化を発明発展させた。」と主張した。
そうならばなぜ日本人は漢字より機能が優れてより進歩したカタカナとひらがなを専用せず漢字を日常生活で使用しているのか?
西尾自身が紹介しているように《万葉集》(古代の歌集)には0.3%に過ぎなかった漢字語が《伊勢物語》(平安時代の説話集)には6.2%、《枕草子》(平安時代の随筆集)には13.8%、平安時代中期には20%に増加した。
漢字比率はその後継続して増加し、鎌倉時代には約25%、室町時代には約30%、江戸時代には約35%、現代では約45%に達している。
それでも産経新聞の校閲部長塩原経央は「国語断想」(2004,9,27)というコラムで「日本人の国語力がこのように衰退しているのは政府の国語政策が学校で漢字を教えることに制限したため」と嘆息をつくほどだ。
このような嘆息が生じてくるのは日本人が今もひらがなとカタカナを仮名即ち仮の文字と考えていて、漢字を真名即ち真の文字だと考えている証拠だ。
白人の真似をするためには外面も変えなければならないだろう。
明治時代にはコーカソイド(Caucasoid,白色人種)との交配問題まで台頭したではないか。
「バナナ人種(同じ黄色いものが白人のように羽振りをきかそうとしているという意味)」という皮肉を免れうる企てを永遠にすることだろう。
アメリカのルーズベルト大統領も太平洋戦争の最中であった1942年9月駐米英国大使と会った席で日本人をこのように批評したという。
「日本人の侵略的な行動は頭蓋骨がまだ発達していないためだ。
随って、日本人をコーカソイドと交配させ異なる人種に変えなくてならない。」
バナナ人種の真似をしようと名前を西洋式に表記し始めたのは伊藤博文が元祖として知られている。
現在も西洋の言論は我が国と中国人の名前は盧武ヒョン、金正日、胡錦涛等、姓そして名の順で表記しているが、日本人の名前は博文伊藤、純一郎小泉のように姓と名を逆に表記している。
日本では小渕内閣の時英語を第二公用語として採択しようとする動きがあった。
さかのぼってみると、敗戦直後アメリカ占領軍司令部も学校の教科書をすべて英語で製作する方案を検討した。
全国の小、中学校生を対象に日本語の読解力書き取り試験を実施し成績が悪ければ教科書全体を英語で製作しようという事だった。
しかし対象学生の半分以上が90点満点で80点以上をとり、国語学者達が激しく反発したことによりこの計画は取りやめたという。
もし対象学生たちの成績が悪かったら今頃日本の教科書はすべて英語で制作され、日本人は英語を公用語として話し、バナナ人種に完全に改造されたかもしれない。
筆者がバナナ人種と呼んで気分が悪い日本人がいたら《週刊新潮》2005年4月14日号探して見よ。
記事によれば自民党郵政改革検討委員会の田村公平参議院議員が竹中平蔵経済財政、郵政担当大臣を「バナナ男(バナナに似ている野郎)」、即ち肌は黄色いが中身は白く、見た目は日本人だが中身はアメリカ人だと攻撃した。
郵政事業の民営化を急いでいる竹中大臣はアメリカ金融資本の手先だという例えだ。
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