「短刀と弓」(日韓関係論)翻訳57 10章 赤提灯の壁           2つの武士道、武士道と葉隠れ

 天皇の責任を見逃してしまった戦後日本の土壌は「上の人が下の人に責任を転嫁するという」日本軍の狂信的武士道がその根だ。
ヒロヒトは1975年9月、敗戦後初めてアメリカを訪問した時、自身の戦争責任について質問を受けて「私は文学的方面については研究してないため、質問の意味が分からない。」としてはぐらかした。

10章―① 赤提灯の後ろでどんなことが起こっているのか

 日本の諺に「臭いものにはふたをしろ」という言葉がある。
この諺のように日本人は悪いことや醜聞を他人に知られないよう隠しておく体質を生まれつき持っている。
反対に神話、美談、美化を大概良しとする体質も持っている。
美化を良しとする日本人の体質を筆者は「赤提灯体質」と呼んできた。

 赤提灯というのは、本来赤色の提灯を示す言葉だ。
日本の居酒屋は大概店の前に赤提灯をかけている。
この赤提灯に火をともすか、店の前に「暖簾」と呼ばれる商号を表示した布がかけられていれば営業しているという印だ。
赤提灯を掲げている店は比較的値段が安い方だから安心して入っていくことができる。
店が街の常連が通うところなら、なお一層そうだ。
誰にでも解放されている空間ではない。
そのために赤提灯の店の中で日常的に起こっていることを簡単に知るのは難しいことだ。

 違った言い方をすれば、日本という国は玄関に非常に大きな赤提灯がかかっている国だ。
玄関の前にいつも赤い明りが下がっていて外から見れば日本という国は限りなく明るくきらびやかに見える。
しかし異邦人たちは実際にその中で何が起こっているのかよく分からない。

日本の居酒屋の前に掲げられている赤提灯

そんな意味でこの場では日本の玄関にかかっている赤提灯を押しのけて入り、内情を一度覗き見てみよう。

 日本では人を持ち上げる記事を「提灯記事」という。相手を提灯のように明るく掲げてくれるという意味だ。
提灯記事の代表的な例として前経団連会長、土光敏夫(1896~1988)の「めざし(藁や木を目に通して干したイワシ)神話」の顛末を解剖してみよう。

 1982年7月NHKは「85歳の執念、行革の顔」という題目で特集を放映した。
この特集の頭に登場する場面は85歳の土光と87歳の直子夫人の朝の食卓だ。
食卓には、おかずとして干しためざし一匹と大根の葉を煮たものがどんと置いてあった。
ほどなく土光が「めざしはないのか?」と聞くと夫人は「焼いてないものはありますが…」と対話している場面が紹介された。
画面は続いて古いネクタイで腰を縛った土光が庭仕事をする姿に変わった。
土光がかぶっている帽子も浮浪者がかぶるような色あせた古いものだった。
そうして洗面所に置いてある櫛は50年間使っていたもので、老夫婦の毎月の生活費は10万円にしかならないというナレーションが流れてきた。

 このNHK特集は15.5%という高い視聴率を記録するほど大きな反響が起こった。
あるラジオ放送局が「土光を激励する手紙」を募集すると数千通が殺到した。
財界総理と呼ばれる経団連会長を6年間ほど歴任した人の朝の食卓に干したイワシ一匹と大根の葉の煮つけしかない程度の簡素な姿に多くの日が驚いたのだ。

 当時土光は中曽根の要請で臨時行政調査会会長を担当し国鉄民営化と行政改革を推進するため東奔西走していた。
しかし、国鉄労組と既得権勢力の反対で中曽根内閣が推進していた行政改革の成功の可否が非常に不透明な状況だった。
それで行政改革推進派が既得権勢力の気力をくじくための方便として行政改革の旗頭である土光の質素な生活を紹介しようというアイデアを出してNHKカメラが土光の自宅に出動したのだ。
この時、紹介された干したイワシのおかげであるか分からないが中曽根内閣の行政改革は初期の目的を達成した。

 今も広く話題となって知れ渡っている土光の「めざし神話」は、どこまでが真実でどこまでが作り上げた話なのか?
結論から言えば、土光が食べていた干したイワシは町のスーパーで売っている安い干し魚ではなく、水産庁長が直接取りに行った特産品だ。
また、土光夫婦がいつも家で焼いて食べているイワシも夫人直子の故郷伊勢半島で特別注文してくる名産品だった。
だから土光自身も干したイワシの話が出るたび、とてもきまり悪かったと伝えられた。

 わが国の記者たちはそんな事情も知らず「日本を学ぼう」という例として土光の干しイワシの話を紹介している報道を見るたび筆者は苦笑を禁じ得ない。
勿論土光自身は本来生まれが清貧で質素なことで有名な人だ。
土光は石川播磨重工業社長の時期いわゆる「朝鮮疑惑事件」に連座して逮捕されたことがある。
しかし、検事がいくらくまなく探しても収賄の嫌疑を立証するに足る手掛かりは発見されず、20日ぶりに解除されたことで知られている。
東芝社長時代には会社が用意した乗用車を断り、自転車で出退勤したという逸話も有名だ。
また、第4代から6代の経団連会長を6年間歴任したが(1974~1980)、夕方の会合を極度に嫌って避け、朝食の会をよく行ったという逸話も有名だ。

しかし、よく考えてみると当時85歳、87歳の老夫婦がどうやって朝食から脂っこい食事が食べられるだろうか?
財界総理と呼ばれる経団連会長程度ならば毎日のようにパーティーだ。
何といっても外で脂っこい食事を食べられる。
夫人や母親のように家で食べる朝の食事ぐらいは軽く食べたいのが人情だろう。

 土光は生前に記者が訪ねてくれば、いくら忙しくても嫌な顔を見せず丁重に応対してくれるという。
随って土光に関する神話の相当部分は「提灯記者」によってつくられたという話もある。
そのため、初めから美化、賛美を目的に作られた提灯記者をそのまま信じて「日本に学ぼう。」と声を張り上げれば、それは日本の諺のように「一つを覚えて繰り返し並べ立てる。(馬鹿の一つ覚え?;訳者注)」と同じ愚かなことだ。

 話のついでに、筆者は数年前にも西武グループの総帥堤義明(有価証券に虚偽を記載し、2005年に拘束され、懲役2年6か月、執行猶予4年の宣告を受けて西武グループ経営から完全に手を引いた。)が常日頃非常に簡素な生活をしているというインタビュー記事を読んだことがあった。
どういうことかと言えば、米国《フォーブス》誌が4年連続世界第一位の富豪として選ばれたことのある堤会長が昼食時であれば近所のソバ屋から気さくにそばを配達してもらって食べるというのだ。
しかし政界第一位の金持ちだった西武グループの総帥であれば毎日会合とパーティーの日程がぎっしり詰まっていることだろう。
フランス、中華、料亭料理を毎日のように代わる代わる食べていれば、昼食程度はそばのような淡白な食事で簡単にすましてこそ胃に良いのではないか?
その提灯記者の言うまま、堤会長が普段簡素であったなら、なぜグループがつぶれるだろうか?

 西武グループが破産すると創業者である堤会長の父である康二郎(前衆議院議長)に関する美談記事も驚くほど零れ落ちて行った。
しかし、少し前までは、康次郎を「石を宝石に変える錬金術師」と褒め称えたのは正に日本の記者たちだ。

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